ホーム>真宗の葬儀式について>配布しおり紹介

配布しおり紹介
〜ご本尊が中心の葬儀です〜
〜不断香・常灯明にはこだわりません〜
〜一膳飯は置きません〜
〜逆さごとは致しません〜
〜家紋は拝みません・拝ませません〜
〜守り刀・守り鏡は要りません〜
〜友引にこだわる必要はありません〜
〜線香は横に寝かせて燃じます〜

1.〜ご本尊が中心の葬儀です〜

 真宗の葬儀では、ご本尊が中心に安置されています。これは、儀式における中心がご本尊であり、亡き人が「ほとけ」である根拠が、南無阿弥陀仏とその教えである、ということを表しています。‥‥南無阿弥陀仏のはたらきに出遇わなければ、いくら亡き人に掌を合わせても、むなしく過ぎるのみ。はやく南無阿弥陀仏の教えを聞く身となって欲しい‥‥このような願いが込められているのです。


2.〜不断香・常灯明にはこだわりません〜

 不断香・常灯明は、遺体の衛生管理の行き届かなかった時代に考案された保護安置方法のひとつです。‥‥死臭に引き寄せられるようにやってくる動物や害虫に対し、お香の香りで死臭を消し、夜を徹して見張るため明かりをつけておく‥‥このような意味合いから生まれたしきたりであり、仏事ではありません。現代では意味の薄れたしきたりですから、こだわりすぎると迷信に陥ります。むやみにこだわり、迷信めいた意味合いを勝手に付け加えないよう気を付けましょう。


3.〜一膳飯は置きません〜

 一膳飯とは、生前使っていた茶碗や箸を使い、ご飯を盛り、箸を一本突き刺して立て、亡き人のそばに置く風習です。これは餓鬼飯とも言い、仏事とは全く関係ありません。‥‥魂を食らうとされる餓鬼から亡き人を守る飯‥‥魂を食らう餓鬼も餓鬼飯も、すべて迷信に基づくものです。置く必要はもちろんありません。ちなみにお内仏には、お仏器にご飯を形を整えて盛り、お仏飯をお供えします。亡き人のそばに置く必要はありません。餓鬼飯とお仏飯は、全く別物です。間違えることの無いように気を付けましょう。


4.〜逆さごとは致しません〜

 逆さごととは、葬儀の際に、日常の行いと逆のことを故意に行う風習であり、仏事ではありません。不揃いの箸を使ったり、屏風を逆さにしたり、衣服を逆さにして干したりする。さらには、火葬の行き帰りで道を変えたりする。‥‥人の生死の現実から何とかして目をそむけたい‥‥そんな思いがもたらした、縁起かつぎであり魔除けの風習です。仏法は、そんな私たちが、生死の現実を真正面から受け止める身となる教えです。縁起かつぎや魔除けなどでごまかすことのないようにしましょう。


5.〜家紋は拝みません・拝ませません〜

 仏式の葬儀に家紋のかざりは不要です。葬儀は遺族親族のためだけの閉ざされた行事ではありません。家も違う苗字も違うたくさんの人々にお参りいただく開かれた行事です。有縁無縁の方々にお参りいただく仏教の行事です。
 生前は○○家の人でした。しかし亡き今は 「ほとけ」です。「ほとけ」はすべての人々にとっての「ほとけ」であります。それぞれの家紋はそれぞれの胸に。そして、すべての方々に「ほとけ」の前にお参りいただきたいのです。


6.〜守り刀・守り鏡は要りません〜

 守り刀・守り鏡とは、民俗学者の説によれば、江戸時代、鼻先に刀・鏡などをかざし、息で曇るかどうかで生死を判断した名残り、と言われています。
 今日では必要のないものですが、枕元に刀や鏡を準備してきた習慣が「守り刀・守り鏡」とする俗習を創り、いつしか棺桶の上に刀や鏡を置いて「猫がまたぐといかん」という迷信まで創り出しました。
 仏式の葬儀にいっさいの迷信は不要です。亡き人を、忌み嫌うべき何かではなく、正しく「ほとけ」として受け取り見送っていただきたい、と願うばかりです。


7.〜友引にこだわる必要はありません〜

 友引とは、暦の一種である六曜(先勝・友引・先負‥‥)のひとつです。もとは中国の暦で「引き分けで勝負なしの日」という意味です。江戸時代に日本に紹介され、賭け事をする人たちが好んだ暦でした。それが一般の暦に広まる中、漢字の語呂合わせからいつの間にやら、葬式を出すと友を道連れにしてしまう日、という俗信に変化してしまったのです。
 したがって友引は、仏事と全く関係ありません。仏事の場であるなら、むしろ根拠のない日柄を気にする私たち自身が問われなければいけないのです。 


8.〜線香は横に寝かせて燃じます〜

 真宗のお内仏のお給仕において、香炉で線香を使 う場合は、必ず寝かせて燃じます。これは古来、香炉に粉末のお香を入れ、燃じたことに由来しています。葬儀に際し、枕元に香炉を置く場合もこれに準じます。
 真宗では、いかなる場合も線香を立てる作法はありません。火を付けたら必ず香炉に寝かせます。‥‥葬儀だけは、線香は一本だけ立てて使うものだ‥‥こんな誤解が見受けられますが、そのようなことを行う必要は一切ありません。まちがえないよう注意したいものです。

戻る