明日香風
〜1988年8月2日,3日、4日、5日の飛鳥・奈良の旅の記念に〜
いにしへの
宮のあたりは
草むして
ほのぼのと見ゆ
大和八重垣
なつかしき
やまと言葉の
ふるさとに
山川の音さやけく
響けり
飛鳥寺
いにしへ偲ぶ
よすがにと
み仏ひとり
かなしくゐます
ただひとつ
咲き残りたる
沙羅双樹
やさしく薫れと
をみなは寄りぬ
首塚を
めぐり終わりて
汗拭ふ
をとめの髪に
明日香風吹く
道のべの
亀石かなし
夏草の
みどりの中に
かしら隠せり
客寄せの
石となり果て
亀石は
物売る声に
まどろみをれり
飛鳥坐
神社の石むら
ことごとく
男のかたちに
立ちて苔むす
をみならも
神社の石を
見に来たり
をんなのかたち
あるやも知れず
甘橿は
緑ゆたけし
畝傍あり
天の香具山
耳成も見ゆ
行く雲の
はるけく見れば
二上の
山のすがたも
ほのかに浮かぶ
写真機を
構える人あり
われもまた
旅のかたみの
歌を詠みをり
すめらきの
陵(みささぎ)池は
神さびて
静まりをれり
白鳥も見ゆ
夕まぐれ
飛鳥の里の
白壁に
くれなゐほのか
かぎろひ燃えて
丘くだり
木立の道に
もの想ふ
かかるひととき
いとほしきかな
いにしへに
狐おどりし
石舞台
滅びしものは
あはれなるかな
山川の
さやけき音に
いにしへの
神のすがたを
なつかしみつつ
二上の
山のふもとに
宿はあり
地図を捜せり
となりの友は
当麻路の
宿の湯上がり
ビール飲む
旅のあはれも
体めぐりぬ
四とせ前
休業したる
宿なれど
情けにすがれば
宿を貸したり
友とわれ
枕ならべて
夜語りす
近き日のこと
遠き日の夢
万葉を
ともに語りし
をとめあり
黒き瞳も
思ひいでたり
二上の
山のふもとの
宿を出で
当麻蹴速(けはや)の
塚まで歩く
豪傑も
ついに敗れて
地に伏せり
五輪の石塔
つつましきかな
塚はなれ
車に乗れば
二上の
山は青みて
白雲立ちぬ
朝影に
我が身はなりぬと
つぶやきて
人麻呂のうた
美しきかな
空にみつ
大和うるわし
飛鳥川
流れてゐたり
青田の中を
古寺の
池を歩めば
蓮の花
白きが咲けり
日差しを浴びて
三輪山を
見つつしのびぬ
いにしへの
人の心は
やさしきものか
まろやかな
小さき山を
神と見し
人の心に
神は宿りぬ
神宿る
人の心に
ほのぼのと
やさしき歌は
生まれいづるか
神代より
伝わり来たる
言の葉の
美しきこと
なつかしきこと
みささぎを
巡り歩きて
友とわれ
道に迷いぬ
暑きひととき
あばかれし
墓にはあれど
神さびて
天武持統の
みたま眠りぬ
石室に
描かれてある
星くずに
女うかびぬ
蝉しぐれのなか
夕日さす
廃寺の礎(いし)に
蝶ひとつ
夢見るごとく
羽をそよがす
亡き寺の
礎(いしずえ)の上に
夢見てし
五重の塔の
ありし姿を
古里は
むくげの花の
さかりなり
友と別れて
花もさびしき
友さりて
ひとりたどれば
しみじみと
旅のあはれが
心に沁みぬ
二上の
山のうしろの
空も暮れ
稲田の道に
風はそよぎぬ
いつしかも
我は寝ており
気がつけば
部屋の明かりは
枕照らせり
あさまだき
心さわぎて
いねられず
当麻の寺に
行かむとおもふ
大寺の
ひんがし塔の
もとにきて
しばし夢みる
美しきこと
大寺に
人影もなし
我ひとり
この朝涼に
息をしてをり
いにしへの
巧みの技を
仰ぎては
わが歌あはれ
霞のごとし
山門を
宿へと帰る
川の瀬に
ザリガニのひげ
赤くそよげり
我に似て
髭の伸びたる
若主人
朝餉作りて
我を迎える
石走る
泊瀬の川の
水音を
旅の名残と
聞きて慰む
海石榴市(つばいち)に
残る石碑に
歌垣の
をとめの姿
ほのかに匂ふ
山の辺の
茶店の前に
すれ違う
をとめ二人の
旅にてあるらし
山路きて
なにやらゆかし
石仏の
残りし顔で
われにほほえむ
石仏の
かたわらに来て
腰下ろし
ほのかにふれし
頬のあたりを
石仏を
拝みし人も
あまたあらむ
土にうもれて
草木となりしか
われ一人
路をたどれば
山峡(やまかい)に
せせらぎの音
かそけくひびく
その昔
僧の浴びたる
泉水は
音のみ聞こゆ
山吹枯れて
山吹の
さやけく咲ける
石清水
われも掬いて
飲みたきものを
我をかも
水を浴びむと
思へども
聖にあらず
その意気もなし
三輪山の
かたへに見ゆる
巻向を
弓月が岳と
我は知りをり
穴師川
たどりて行けば
真昼とき
民家の前を
犬も歩かず
何といふ
花にかあらむ
面を垂れ
心地よげに
しぶきにそよぐ
黒髪の
をとめの姿
ふと浮かび
こころかなしも
会えぬと思へば
ほのかなる
をとめの姿
しのびつつ
弓月が岳に
惜しみて別る
みささぎを
めぐりて終わりて
道に出る
蕎麦を食わせる
店は休めり
くたびれて
茶店に入りぬ
母娘
我を迎えて
ゐずまい正す
バス通り
かたへに見つつ
草むせる
あぜ道行くも
なにやら楽し
衾道(ふすまじ)を
引手の山に
いにしへを
惜しみて行けば
烏さわげり
長柄なる
駅に来たりて
電車待つ
そのひとときを
老婆と過ごせり
いま一度
神奈備山に
登りみむ
神の御魂の
奥津城(おくつき)どころ
蛇のすむ
三諸の杉に
手を触れて
祈りし人を
我もなぞらふ
紫草(むらさき)は
灰(かい)さすものぞ
海石榴市(つばいち)の
八十(やそ)のちまたに
車走らす
吉野川
暮れ行く空に
呼子鳥
つばさの色は
ほのかに白し
いにしへの
人も通ひぬ
吉野川
清き流れの
夕波千鳥
宮の跡
いずこにありや
蝉しぐれ
にはかに繁き
夏の日暮れに
岩群に
降り行くなへに
踏みしだく
野菊の茎の
さ青なるかな
魚釣る
少年の竿
しなりたり
鮎子さ走る
清き流れに
岩群の
テントの近く
黒髪の
少女の声も
弾みて聞こゆ
枯れ枝を
燃やしてゐたる
父親の
腹のたるみは
我におとらず
宮滝に
近づきてみる
岩の上の
水着をとめの
肌見ゆるまで
安見子と
呼んでみたしと
ゆえ知れず
胸ときめきて
象山(きさやま)仰ぐ
吉野なる
三船の山も
そこにあり
橋を渡りて
行けば涼しも
旅人(たびと)らも
辿りし古道
桜木の
神社のあたり
象川(きさがわ)さやけし
ただひとり
象川の瀬に
足沈め
休んでおれば
魚食いつく
象山の千鳥の声は
静まりて
蝉の声高し
夏の日暮れに
山道を
下りて行けば
自転車を
引きつつ来たる
少年清(すが)しも
見納めに
橋の中より
下つ瀬と
上の木立を
しみじみと見ゆ
宿に来て
湯を浴びをれば
妻や子の
面影うかぶ
薄日差すごと
いま一夜
ひとりで寝む
旅枕
さびしき思ひ
果てる日なくも
朝食も
別れの食事と
なりぬべし
ありがたきかな
人の情けは
法隆寺
唐招提寺に
薬師寺と
み寺の仏
訪ね歩かむ
きよらかに
ほのぼの立てる
観音は
斑鳩の寺
百済の仏か
止利仏師
つくれる仏
あまたあり
立ち去りがたき
法隆寺かな
家持も
笠の娘も
見たりしか
大寺にゐる
餓鬼はかなしき
怒るもの
嘆き悲しみ
笑ふもの
こもごもありて
仏にかしづく
五重なる
塔のつくりは
三十一(みそひと)の
文字の調べに
どこか似てをり
中宮寺
御堂の畳に
正座して
十とせぶりなる
御仏拝む
やはらかき
指のひとつを
頬に触れ
をとめのごとき
仏ゐませり
かくばかり
美しきもの
伝えてし
人のこころは
たのもしきかな
ほのぼのと
明日香をとめが
ほほえみて
人のこころも
やさしくなりぬ
み仏を
拝みて後の
人の顔
ほのぼのと見ゆ
をさな子のごと
人の世の
濁りにしまず
我もまた
み仏ひとつ
こころに持ちたし
いにしへの
都の跡に
建ちてをり
大寺の塔
遠くより見ゆ
玉砂利を
踏みて歩めば
金堂の
蔭より出る
講堂を見ゆ
鑑真の
ゆかりの寺の
回廊に
腰を下ろして
しばし休めり
み仏の
近くにありて
ほのぼのと
旅の終わりを
いとほしみつつ
金堂の
影もほの消え
参拝の
人のすがたも
み仏のごと