「星の王子さま」の旅
星の王子さまは、ふるさとの星をあとにして、地球へやってくるわけだが、それまでに6つの星に立ち寄っている。そして、それぞれの星で、王子さまは一風変わった人物に出会う。
第一の星には、王様がひとりで住んでいた。茜色の服に白テンの毛皮を着て、玉座に坐っていた王様は、星の王子さまを見かけると、「やあ、家来が来たな」と声をかける。王様は宇宙で自分が一番偉いと思っている。そして、人が自分の命令に従わないのを、一番恐れている。
王様にとって、自分以外の人間はみんな家来である。「近うよりなさい。そのほうが、もっとよく見えるように」と、王様はやっとだれかの王様になれたので、得意になって命令する。しかし、王子さまは、こんな王様と一緒にいても面白くもなんともない。
王子さまがあくびをすると、「あくび禁止じゃ」という。王子さまが「がまんできないんです」と言うと、「そうか、では、あくびをしなさい。命令する。わしは、もう、何年か、ひとのあくびをするのを見たことがない。あくびというのは、おもしろいものだな。さ、あくびをしなさい、もう一度。命令だ」
いよいよ、退屈した王子さまが彼のもとを去ろうとすると、「いかん、いかん」と制止するものの、王子がその命令を無視して出発しようとすると、あわてて、「そのほうを、わしの大使にするぞ」と、威張った顔をして命令を下す。王子さまは旅をしながら、「おとなって、ほんとうにへんなものだな」とつぶやく。
人を支配したがっている人間は、ほんとうは孤独で淋しい人間である。そして、彼が他人を支配しようとすればするほど、人々は彼から背を向ける。そして彼はますます孤独になり、自分の権力にしがみつく。星の王子さまが最初に出会ったのは、こうしたたぐいの人間だった。
淋しい王様の住んでいる一番目の星をあとにした星の王子さまは、やがて二番目の星にたどりつく。そこには「うぬぼれ男」が住んでいた。「やあやあ、おれに感心している人間がやってきたな」と、男は王子さまを迎える。
男はピエロのようななりをしていて、へんてこな帽子をかぶっている。人が彼を誉めたとき、男は帽子をもちあげて挨拶するのだという。「手をたたきなさい、ぱちぱちと」と言うので、王子さまが手を叩くと、帽子を持ち上げて挨拶してくれた。これは王様より面白そうだな、と王子さまは考える。
しかし、手ばかり叩き続けなければならないので、やがてくたびれてきた。それに、この男の耳には自分が誉められる言葉しか聞こえない。だから、王子さまは相手を誉め続けなければならない。しだいに王子さまの拍手もおざなりになってくる。
「おまえさんは、ほんとにおれに感心しているのかね?」とうぬぼれ男。
「感心するって、いったい、それ、どういうこと?」
「おれがこの星のうちで、一番美しくて、一番りっぱな服をきていて、一番お金持ちで、それに一番賢い人だと思うことだよ」
「でも、この星にいる人ったら、あなたひとりっきりじゃないの!」
「たのむからね、まあ、とにかく、おれに感心しておくれ」
「ぼく、感心するよ」
王子さまには、人に感心されることが、なんで、そんなに面白いことかよくわからない。とにかく、男を喜ばすために、できるだけ拍手をして、たくさん感心してから、その星を後にする。「おとなって、ほんとにへんだな」と王子さまは思ったまま、次の星へと旅を続ける。
うぬぼれ男はどうして他人に感心されることを求めるのだろう。それは彼が自分自身に劣等感や頼りなさを感じているからだ。うぬぼれは、つまりは男の自分に対する自信のなさの裏返しなのだろう。自分で自分を認めることができないので、他人の賛辞をほしがる。うぬぼれ男がそのことに気付いていないとしたら、ちょっと哀しい。
王子さまが訪れた三番目の星には、「飲み助」が住んでいた。飲み助の男は、空のビンと、酒の入ったビンを、ずらりと並べて、だまりこくっている。王子さまが「何しているの?」と訊くと、男は泣き出しそうな声で、「酒を飲んでいるよ」と答える。
「なぜ、酒なんか飲むの」
「忘れたいからさ」
「忘れるって、何をさ」
「はずかしいのを忘れるんだよ」
「はずかしいって、何が?」
「酒を飲むのがはずかしいんだよ」
飲み助は、そう答えるなり、また黙りこくってしまった。王子は言葉を失い、どうしょうもなくて、飲み助のいる星をあとにする。そして、「おとなって、とってもおかしいんだなあ」と、旅を続けながら考える。
飲み助は自分の恥ずかしさを忘れるために酒を飲み、そのことでさらに自己嫌悪に陥って、酒を飲まないわけにはいかない。酒を飲み続ける限り、自己嫌悪の悪循環から免れることはできないのだが、そのことを知っていながら、どうすることもできない。こうなると、もう、気の毒としかいいようがない。
4番目の星には実業家が住んでいた。男はとても忙しそうで、王子さまがやってきても、顔をあげようとしない。そして、ひたすら何か勘定をしている。
「3たす2は5。5たす7は12。・・・いやはや煙草に火をつけるひまもありゃせん。26たす6は28.ウフッ! うまいぞ。これで5億163万2131になったぞ」
「5億って何が?」
「・・・いや、知っちゃいないよ・・・なにしろ、こんなやまほどの仕事だからな。おれは、だいじな仕事をしているんだ。くだらないことに、かかりあっちゃおられん。2たす5は7と・・・・」
実はこの男は、「空に見えるきらきらした小さなもの」を勘定しているらしい。それを勘定し続けて、5億何個かになったというわけだ。しかしまた、どうして、この男は星の数を熱心に勘定しているのだろう。
「そのたくさんの星、どうするの?」
「どうもしやせん。持っているだけさ」
「星を持っているんだって」
「そうだよ。・・・持っている星の数をだな、ちょいとした紙の上に書くということだよ。それから、その紙を引き出しの中に入れて、鍵をかけておくのさ」
「それだけ?」
「うん、それでいいんだ」
「ぼくはね、花をもっていて、毎日水をかけてやる。火山も3つ持っているんだから、7日に一度はすすはらいをする。いつ爆発するかわからないからね。ぼくが、火山や花を持っていると、それが少しは火山や花のためになるんだ。だけど、きみは、星のためにはなってやしない・・・」
実業家は口を開けたが、なにも言うことが見つからない。そもそも王子さまの言葉がまるで分からないようだ。王子さまは王子さまで、「おとなって、まったくかわっているな」と思いながら、旅を続ける。
ここで、王子さまは実業家に向かって、「何のために」という問いかけをしている。何のために仕事をして、何のためにお金を稼ぐのか。お金をためるだけにお金を稼ぎ、そのために忙しくしているおとなの生き方に、王子さまは疑問を抱くのである。
お金のためだけに生きるのは、やはり空しいのではないか。それでは人は何のために生きるのだろう。人が幸せになるために大切なものは何だろう。王子さまはそう考えて、旅を続ける。やがて王子さまは地球へ来てその解答を見出すわけだが、その前に、まだ途中の星が2つ残っている。
5番目の星には、律儀な点燈夫が住んでいた。点燈夫は街灯の火をつけたり、消したりするのが仕事なのだが、彼の住む小さな星は、一分間に一回転するので、夜と昼の交代がはやい。
「こんにちは。なぜ、いま、街頭の火を消したの」と星の王子さま。
「命令だよ。や、おはよう」
「どんな命令?」
「街頭の火を消すことだよ。や、こんばんは」
「だけど、なぜ、またつけたの」
「命令だよ」
「わからないな」
「なにしろ、とんでもない仕事だよ。むかしは、理屈にあっていたんだがね。朝になると火を消す。ひるまは休めたし、夜は眠ったものだ」
星の回転速度がだんだん早くなってきた。命令はむかしのままなので、たいへんである。男は眠ることもできずに、今は働きづくめだ。赤い碁盤縞のハンケチで、ひたいの汗を拭いている点燈夫に別れを告げて、王子さまは、また、旅に出た。
「ぼくは、あのひとだけ、友だちにすればよかったな。だけど、あのひとの星は、あんまり小さすぎる。ふたり分の場所もない星なんだもの」
王子さまは旅を続けながら、この小さな星と律儀な点燈夫を、なぜだかなつかしく思い出した。
王さまも、うぬぼれ男も、飲み助も、実業家も、この点燈夫を軽蔑するだろう。「でも、ぼくにこっけいに見えないひとといったら、あのひとりきりだ。それも、あのひとが、じぶんのことではなく、ほかのことを考えているからだろう」と、王子さまは考える。
6番目の星には、物知りの学者が住んでいた。彼は何冊も、大きな書物を書き、書物に囲まれて暮らしていた。「その大きな本はなに? ここで、何をしているの?」と、王子さまが訊くと、「わしは地理学者だ」という。
「地理学者って?」
「海や川、町や山や、砂漠がどこにあるのか、そんなことを知っている学者のことだよ」
「そりゃおもしろいなあ、ほんとうに。そんなのが、ほんとうの仕事ですよ」
王子さまは、少し感心する。そして、この星のことについて訊ねる。山や川や海がどこにあるのか、町や砂漠について訊く。しかし、学者はそんなことは知らないという。地理学者は探検家が来たら、話を聞いいて、ノートにとる。それが仕事で、実際に探検に出かけたりはしない。
「あんたは、遠いところからやってきたんだ。りっぱな探検家だ。あんたの星のこと話してもらいたいね」とおだてられて、王子さまは、自分の星の話をはじめる。ちっちゃい星で火山が3つあって・・・。
「花も一つあるんです」
「わしたちは花のことなんか書かんよ」
「なぜ? とっても美しいんですよ」
「花というのははかないものだからね」
「はかないってなんのこと?」
「そりゃ、そのうちに消えてなくなるという意味だよ」
「ぼくの花、そのうち消えてなくなるの?」
「うん、そうだとも」
王子さまは、花のわがままががいやになって、星を飛び出した。しかし、「花というのは、はかないものだ」ときいて、身のまもりといったら、四つのトゲしか持っていない、星にひとりぼっちにしてきたその花が、ふとなつかしくなった。しかしまだ、ふるさとの星に帰る気にはならない。
「地球を見物しなさい。なかなか評判のいい星だ」と地理学者に勧められたからだ。そこで、遠くに残してきた花のことを考えながら、王子さまはふたたび旅に出る。そして訪れた7番目の星が地球だった。
7番目の星、地球には、たくさんの王様や、地理学者や、実業家、のんだくれ、うぬぼれたちが住んでいた。そこで人々は、権力や知識、財産、快楽、賞賛などを求めて生きている。しかし、そのいずれもが、王子さまの目には、あまり幸福には見えない。
それは彼らがみんな、自分のことしか考えようとしないからだ。人生にはそれ以外に、もっと大切なものがある。それでは、人間にとって一番大切なもの、それはなんだろう。その答えがわかったとき、王子さまは、ふるさとの星に帰る決心をする。
「ぼく、あの花にしてやらなくちゃならないことがあるんだ。ほんとに弱い花なんだよ。ほんとにむじゃきな花なんだよ。身の守りと言ったら、四つのちっぽけなトゲしか、もっていない花なんだよ・・・」
<空をごらんなさい。そして、あのヒツジは、あの花をたべただろうか、たべなかっただろうか、と考えてごらんなさい。そうしたら、世のなかのことがみな、どんなに変わるものか、おわかりになるでしょう・・・>作者のサン・テグジュペリは最後の方で、こんなふうに私たちに語りかける。そして「大人たちは、決してこのことを理解しないだろう」と付け加える。
私が「星の王子さま」を始めて読んだのは、大学生になってしばらくしたころだった。友人に勧められて、英語版で読んだが、あまりピンとこなかった。たぶん私の英語力が不足していたせいだろう。
その後、内藤濯さんの訳本に出会って、すっかりフアンになった。「ル・プティ・プランス」(小さな王子さま)を「星の王子さま」と訳すなど、内藤さんはかなり工夫をした意訳を採用している。
これは三田誠広さんも書いていることだが、たとえば、直訳すれば「人生を理解している人(Who
understand life)」を内藤さんは具体的に「ものそのもの、ことそのものを大切にする人」と訳している。生半可なことでは、こうした訳はできることではない。
大人になると言うことは、「理解」とか「愛」「真実」「正義」「美」などいう抽象的な言葉が使えるようになるということである。しかし、こうした言葉を知ることによって、私たちはともすると「ものそのもの、ことそのもの」の持つ豊かさを忘れ去ることになる。
たとえば「人類愛」を説く人が、平気で身近な人を傷つけたり、ないがしろにしていることがある。立派な道徳を説く政治家が汚職の常習犯であったりする。あるいは名高い哲学者や宗教家の本を読むことで、私たちは「生と死」といった人生の大事について、なんだかわかったような気になったりする。
たしかに観念の世界を構築することで、私たちは世界や人生への理解を深め、現実の支配者になることができたが、同時に生きた現実から遠ざかり、そのことによってどれほど貴重なものを失うことになったか、失われたものの大きさに気付くことも大切だろう。
王子さまは小さな星で一本のバラの花と暮らしていた。彼女は「自分のようなものはどこにもない」と言っていた。ところが、地球に来て、王子さまはたくさんのバラの花が咲いているのを見る。それをみて、王子さまはすっかり悲しくなる。
「ぼくは、この世に、たった一つという、めずらしい花を持っているつもりだった。ところが、じつは、あたりまえのバラの花を、一つ持っているきりだった。それと、ひざの高さしかない三つの火山・・・・」
そこへ、「こんにちは」とキツネが現れる。そしてキツネがこんな話をする。このキツネのセリフが、なかなかいい。読み返しすたびに、ますます味わいの深くなる言葉だ。
「おれの目から見ると、あんたは、まだ、いまじゃ、ほかの十万もの男の子と、べつに変わりがない男の子なのさ。だから、おれは、あんたがいなくたっていいんだ。あんたもやっぱり、おれがいなくたっていいんだ。あんたの目から見ると、おれは、十万ものキツネとおなじなんだ」
「だけど、あんたが、おれを飼いならす(tame)と、おれたちは、もう、おたがいに、はなれちゃいられなくなるよ。あんたは、おれにとって、この世でたったひとりのひとになるし、おれは、あんたにとって、かけがえのないものになるんだよ・・・」
「もし、あんたが、おれと仲よくしてくれたら、おれは、お日さまにあたったような気もちになって、暮らしてゆけるんだ。足音だって、きょうまで聞いていたのとは、ちがったのがきけるんだ。ほかの足音がすると、おれは、穴の中にすっこんでしまう。でも、あんたの足音がすると、おれは、音楽でもきいている気もちになって、穴の外へはいだすだろうね」
「おれは、パンなんか食いやしない。麦なんて、なんにもなりゃしない。だから麦ばたけなんか見たところで、思い出すことって、なんにもありゃしないよ。それどころか、おれはあれ見ると、気がふさぐんだ。だけど、あんたのその金色の髪は美しいなあ。あんたがおれと仲良くしてくれたら、おれにゃ、そいつが、すばらしいものに見えるだろう。金色の麦をみると、あんたを思い出すだろうな。それに、麦を吹く風の音も、おれにゃうれしいだろうな・・・」
「もう一度、バラの花を見に行ってごらんよ。あんたの花が、世の中に一つしかないことがわかるんだから。それから、あんたがおれにさよならをいいに、もう一度、ここにもどってきたら、おれはおみやげに、ひとつ、秘密をおくりものにするよ」
このキツネの言葉を聞いて、王子さまはもう一度、バラの花たちを見に行く。そして、そこに咲いているバラたちにこう語る。
「あんたたち、ぼくのバラとは、まるでちがうよ。それじゃ、ただ咲いているだけじゃないか。だあれも、あんたたちとは仲よくしなかったし、あんたたちのほうでも、だれとも仲よくしなかったからね。ぼくがはじめて出くわした時分のキツネとおなじさ。あのキツネは、はじめ、十万ものキツネとおなじだった。だけど、いまじゃ、ぼくの友だちになっているんだから、この世に一ぴきしかいないキツネだよ」
「あんたたちは美しいけど、ただ咲いているだけなんだね。あんたたちのためには、死ぬ気になんかなれないよ。そりゃ、ぼくのバラの花も、なんでもなく、そばを通ってゆく人が見たら、あんたたちとおなじ花だと思うかもしれない。だけど、あの一輪の花が、ぼくには、あんたたちみんなよりも、たいせつなんだ」
「だって、ぼくが水をかけた花なんだからね。覆いガラスもかけてやったんだからね。ついたてで、風にあたらないようにしてやったんだけらね。ケムシを−−二つ、三つはチョウになるように殺さずにおいたけどー−殺してやった花なんだからね。不平もきいてやったし、じまん話もきいてやったし、だまっているならいるで、時には、どうしたのだろうと、きき耳をたててやった花なんだからね。ぼくのものになった花なんだからね」
王子はバラの花にこう言って、またキツネに会いに行く。キツネは、最後にこんな言葉を送る。
「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことなんだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目にみえないんだよ」
「あんたが、あんたのバラをとてもたいせつに思っているのはね、そのバラのために、ひまつぶしをしたからだよ」
「人間っていうものは、このたいせつなことを忘れてるんだよ。だけど、あんたは、このことを忘れちゃいけない。めんどうをみたあいてには、いつまでも責任があるんだ」
キツネと出会った王子さまは、やがて砂漠に不時着した飛行士に出会うことになる。そして、飛行士にこんな美しい言葉を語りかける。「星があんなに美しいのも、目に見えない花が一つあるからなんだよ」「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ」
The stars are beautiful , because of a
flower that cannot be seen.
What makes the desert beautiful is that
somewhere it hides a well.
「星の王子さま」は1943年にアメリカで出版された。原題は「ル・プティ・プランス」(小さな王子さま)だが、内藤濯さんはこれを「星の王子さま」と訳した。なかなかの名訳だ。
サン・テグジュペリは前書きで、「おとなは子どもだった。しかしそのことを忘れずにいるおとなはいくらもいない」と書いている。彼がこの本を書いていたのは、第二次大戦のさなかだった。祖国フランスがナチスに蹂躙される悲惨な戦争のまっただなかだった。
大人たちが始めた戦争で、子供たちが死んでいく。そして、大人たちの中に生きていた「子どもの心」も死んでいった。童心を失い、美しいものにたいする感動を失った大人たちは、「ほんとうに大切なもの」を見失って、お互いを殺し合う戦争に我を忘れている。そうした危機感が、彼にこのような童話を書かせたのではないだろうか。
「きみのすんでいるとこの人たちったら、おなじ一つの庭で、バラの花を五千も作っているけど、自分がなにをほしいのか、わからずにいるんだ。だけど、さがしているものは、たったひとつのバラのなかにだって、すこしの水にだって、あるんだがなあ・・・。だけど、目ではなにも見えないよ。心でさがさないとね」
作家の三田誠広さんは、「星の王子さまの恋愛論」という本の中で、「作品の中の設定では、王子さま小さなプラネットからきたことになっていますが、作者のサン・テグジュペリの心の中に、この小さな少年のイメージが宿ったのは、作者自身の過去の記憶に出発点があります。星の王子さまは作者の過去からきた。少年時代の記憶の中から、この少年はやってきたのです」と書いている。
星の王子さまは、幼い頃の作者の化身であり、この童話そのものが、彼自身の少年時代との対話そのものだともいえる。私たちも又、「星の王子さま」を読みながら、自分自身の少年時代と対話することになる。そして、人生に対する大切な認識を、かっての自分自身から教えられるのだ。
王子さまは、小さな星にすんでいた頃、その星の上ですこしずつ椅子をずらしながら、一日に43回も太陽が沈むのを眺めたことがあるという。こうした淋しさを、だれしも子どもの頃に一度は経験したのではなかろうか。
ところで、この本を書いた1943年に、彼は43歳の誕生日を迎えている。そして、この本を書き上げた後、彼は空軍パイロットとして戦場に赴き、翌年の1944年7月31日に、地中海の戦線で愛機とともに姿を消した。
「星の王子さま」は戦後1946年にサン・テグジュペリの遺作として、パリのゲリマール社から改めて刊行された。そして、今では世界中の子どもと大人がこの本を自国語の翻訳で読んでいる。この半世紀に、聖書についで、世界でもっとも多く読まれた本ではないかと言われている。
ところで、「南方郵便機」「夜間飛行」「人間の土地」の著者として、アメリカでも評判の人気作家になっていたサン・テグジュペリが、なぜ作家としての地位や名声を捨てて、戦地におもむいたのだろう。
「ぼくには飢えている者たちから遠くはなれていることが耐えられない。ぼくの良心と折り合いをつける方法はひとつしか知らない。それはできるかぎり苦しむことだ。・・・ぼくは死ぬために出発するのではない。苦しむため、そうやって同胞と通じ合うために出発するのだ。ぼくは殺されることは望んでいないが、そんなふうにして眠りに入ることはよろこんで受け入れる」
(山崎庸一朗訳「サン・テグジュペリ著作集」「戦時の記録」みすず書房)
彼が「星の王子さま」を書き上げた後、フランスにいる妻コンスエロにあてて書いた手紙の一節である。結局彼は暢気で贅沢なアメリカ人たちのなかで、居場所を見つけられなかった。「星の王子さま」の著者は、ナチスドイツが祖国フランスを蹂躙するなか、人々の美しい心や生活が滅び去っていくのを、もはや座視することが出来なかったのだ。
(参考文献) 「星の王子さま」サン・テグジュペリ著、内藤濯訳 岩浪書店
「星の王子さまの恋愛論」 三田誠広著 日本経済新聞社
「サン・テグジュペリの宇宙」 畑山博著 PHP新書
「星の王子さまの幸福論」 渡辺健一 扶桑社