橋本裕の人生論ノート(9)
2001年9月〜11月
| 1 |
生活大国オランダ |
2001,9,1 |
| 2 |
文化大国オランダ |
2001,9,7 |
| 3 |
多元社会の政治学 |
2001,9,8 |
| 4 |
モノの世界 |
2001,9,13 |
| 5 |
コトの世界 |
2001,9,14 |
| 6 |
愛のセーフティネット |
2001,9,19 |
| 7 |
成功の条件 |
2001,9,20 |
| 8 |
競争から共生の教育へ |
2001,9,26 |
| 9 |
国民生活優先の改革を |
2001,9,28 |
| 10 |
日本の低金利で戦費調達 |
2001,10,2 |
| 11 |
在日米軍に51億ドル |
2001,10,3 |
| 12 |
小泉流「適者生存説」 |
2001,10,4 |
| 13 |
TI化がもたらすもの |
2001,10,7 |
| 14 |
空爆の空の下で |
2001,10,10 |
| 15 |
同時多発テロから学んだこと |
2001,10,13 |
| 16 |
難民の目で見た世界 |
2001,10,22 |
| 17 |
中高年のリストラ |
2001,10,27 |
| 18 |
正義とは何か |
2001,10,28 |
| 19 |
今こそワークシェアリング |
2001,11,2 |
| 20 |
美を求める旅 |
2001,11,4 |
| 21 |
50歳からの選択 |
2001,11,5 |
| 22 |
大切な心の原点 |
2001,11,10 |
| 23 |
英語の正しい学習法 |
2001,11,16 |
| 24 |
数学の学習法 |
2001,11,17 |
| 25 |
受験勉強は必要か |
2001,11,19 |
| 26 |
教育亡国 |
2001,11,20 |
| 27 |
東洋の思惟像 |
2001,11,21 |
| 28 |
日本人の宝もの |
2001,11,22 |
| 29 |
人生の応援歌 |
2001,11,23 |
| 30 |
自然・人間・社会 |
2001,11,24 |
| 31 |
精神の安楽主義 |
2001,11,25 |
| 32 |
心の中の大地 |
2001,11,27 |
| 33 |
開かれた個 |
2001,11,28 |
| 34 |
考えるということ |
2001,11,30 |
オランダではどんな会社に勤務していても、一年に最低25日の休暇がとれる。これに土日をくわえれば、全部で5週間は休める。病欠は別に有給休暇が無制限にとれるので、オランダ人にとってこの5週間はまるまるバカンスのための休暇である。
日本人の場合は、正規の有給休暇でさえほとんど消化しないであくせく勤労し、そして過労や病気になって、ようやく有給休暇を、それも上司や同僚の顔色を見ながら、恐縮したようないいわけをしながら取る。病気にならないと休暇がとれないという日本は、オランダからみればまるで「開発途上国」だ。
オランダの年間の総労働時間は、90年の統計では1732時間、これに対して日本は2143時間である。もちろんこれにはサービス残業は含まれない。たとえ有給でも時間外労働はうけつけないオランダ人からすれば、日本ははるか古代の奴隷制の国だということになるかもしれない。
確かに日本経済は発展し、国民所得もあがったが、その為に失ったものも大きい。世界一金持ちの国になりながら、国民はみんな疲れていて、その上、失業や老後の心配に怯えている。首切りのことを「リストラ」などとうまいこと言うようになったと感心していたら、小泉さんが首相になってから、さらに「構造改革」という便利な言い方が一般的になった。これにはあきれた。
先日も小泉さんがテレビで、「失業率が5パーセントをこえましたね」とNHKの記者に質問されて、「民間でも構造改革が進んでいるようですね」と満足そうに答えていた。他の大臣は対策について質問されて、「自己責任が大切です」としか答えない。
ちなみに、民間で進んでいる「構造改革」の一端を紹介しよう。東芝の約2万人、富士通の1万6千人、松下の5千人、NECの4千人と、この4社だけでも約4万5千人が社を去ることとなる。人数は明らかではないが、ソニーも工場の縮小に伴いリストラが行われる。日本を代表する優秀なIT産業でさえこのありさまである。
これからホームレスがますます増えるだろう。いや、私自身バブルの最中に家を買って、多額の住宅ローンをかかえている。この先「自己破産」して、一家でホームレスの仲間入りということになるかもしれない。
オランダはホームレスが一人もいない世界でも珍しい国だそうだ。倉橋さんは「物語オランダ人」の中で「私はオランダに12年間暮らしましたが、乞食の姿を見たのはただの一度もありませんでした」と書いている。法律の規制があって、乞食やホームレスが合法的に存在できないらしい。
フランスやベルギーにも同様な法規制があるが、ホームレスは存在する。それは社会福祉制度がオランダほど完璧ではなく、「生活が出来ない」という言い逃れができるためだ。この点、オランダはどうにも言い逃れが出来ないほど完全なしくみになっている。
たとえばオランダでは延べ床面積が130平方メートルのごく標準的な家が、30代のサラリーマンの平均年収の3年分で買えるという。ローンの負担は月収の15パーセント以下だ。しかも利息は30年間税金が控除されるという。オランダの家は100年はもつというから、庶民が家をもつ負担は少なく、ローン地獄とは無縁の世界だ。だからオランダ人は30歳になるかならないかのうちに家が持てる。
こうした理想的な住宅政策にくわえて、「ワークシェアリング」政策で失業率が3パーセントに満たない。この3パーセントという数字は、のんびりと次の職を物色中の人数がこれだけいるということで、ほぼ完全雇用に近い水準だという。強力な政策によって、失業やホームレスがありえない社会システムが実現しているのである。
オランダでは家が安いが車は高い。購買力平均で計算すると、日本のカローラクラスの値段が約400万円もする。これはオランダ政府が地球温暖化対策のためにとんでもない税金を掛けて、車を購入させないようにしているからだ。オランダだけが頑張っても仕方がない気がするが、オランダ人はそう考えない。必要なことは、たとえ少数者でも、断固やり抜く生活哲学をもっている。
オランダを訪れた人は、国中がまるで国立公園のようだと、その美しさに感心するらしい。アムステルダムの市内に住んでいても、自転車で20分も走れば田園風景がひらける。コンクリート舗装など一切無縁のアムステル川の土手に腰を下ろせば、手の届きそうな目の前を白鳥やほかの水鳥が泳いでいく。川の背後には牧草地が広がり、牛が悠々と草をはんでいる。
「田園風景をさらにきれいにしているのが、送電線が露出していないことです。どんな田舎でもオランダでは送電線が全て土中に埋設されており、それができる豊かさを羨むと同時にそれをする心のゆとりに脱帽します。豊かであっても金をそのような事に使わない国・国民が世の中に多いからです」(「物語オランダ人」倉部誠)
もっとも、こんな理想的な国にも泣き所はある。オランダ人の病気欠勤率が6.9パーセント(単純労働作業では10パーセント)と異常に高いのである。オランダでは「病欠」の場合、医者の診断書は必要でない。そして労働者保護が徹底しているので、「いったん病気になった人間はいかなる理由があろうとも解雇できない」のだという。
その結果、会社を病気で長期に欠勤しながらスキーに遊びに行く者もでてくる。倉部さんの経験によれば、同じ職場で2年半も会社を「病欠」しながら、その間サイドビジネスで稼いでいた男もいたという。彼は給料をただ取りし、その間アルバイトで余計に稼いだあげく、退職金までせしめたらしい。まさに彼は笑いがとまらないだろう。
オランダの社会民主的な労働システムではこうしたことが防げない。そしてどんな職場にも1割はこうした不届きな怠け者がいる。だから、会社はその分を予想して、一割り増しの雇用をあらかじめ確保しておかなければならない。それでも倉橋さんは「オランダ人は世界一勤勉な国民だ」と言う。
「明日から急に働く気がしなくなり、病気だからと言って会社を休み、本人がその気ならばそれを1年はおろか2年、3年も続けられ、給料はその間ほとんど変わらずに支給され続けられる。そしてめでたく病気が全快したら就職探しには困らないとしたら、一体どれだけの人間がまじめに働き続けるでしょう」(「物語オランダ人」)
「オランダ人たちはそのような天国のような恵まれた環境にあって、なおかつ多数派は依然として働き続けています。たかが全体の10パーセント近くがそうした過保護の恩恵をフルに利用して怠けているからと言って、そう目くじらを立てるものではありません。むしろそのような中にあってなお、90パーセント近くの人たちがまじめに働いている事実を驚嘆すべきなのです」(同上)
たしかに、これは驚くべき勤勉さである。日本人だったら、この数字は逆転するのではないだろうか。倉橋さんはオランダの会社で一緒に勤めていた日本人同僚の仕事ぶりを見て、「勤勉な日本人」というのが、全くの妄想にしか過ぎなないことをさんざん思い知らされたという。
日本の勤勉さは、強制されたみせかけの勤勉さであり、オランダ人の勤勉さは内面的に確立された勤勉さである。だから、日本人は命令や強制がなくなるととたんにだらしなくなる。オランダ人は自主性を尊重する教育を受けていた。そして学校や家庭で、強制されたり叱れれたことがない。だから日本人とは逆に、強制されなくても、その仕事が大切だと思ったら、自主的にやり遂げるのである。
他人がどうであると言うことは、あまり関心がないので、さぼっている同僚をとくに非難しない。たとえ不利益になっても、自分が正しいことはやり通すというオランダ人の個人主義が、こうした理想的な社会システムを支えている。
こうして見てみると、社会を支えるのは一人一人の個人であり、どんなに素晴らしいシステムも、こうした卓越した個人の力量がなければ、それはまともに機能できないことがわかる。「生活大国」オランダは、このようにしっかりした生活哲学をもった個人の協力と参加によって実現されている。なぜオランダが社会教育を重視するのか、それはこの楽園のような国を子孫に残し、世界の模範の一つとしたいからだろう。
オランダは哲学者スピノザを生んだ。スピノザは「国家とは国民を支配するためにあるのではなく、国民に自由を保証するためにあるのだ」と書いている。
「国家の究極の目的は支配することではなく、また人間を恐怖によって束縛し、他者の権利のもとに置くのではなく、むしろ逆に、各人を恐怖から解放し、そして各人ができるだけ安全に生活できるようにすること、言い換えれば、生活と活動のために、各人の自然権を、彼ならびに他人を損なうことなしに、もっともよく保持できるようにすることである」
「私はあえて言う。国家の目的は、人間を理性的存在者から、野獣あるいは自動機械にすることではなく、むしろ反対に人間の精神と身体を全く完全にその機能をはたし、彼自身が自由に彼の理性を行使し、憎しみ、怒り、欺瞞をもって争うことがないように、また相互に敵意を抱くことがないようにすることである。それゆえに、実に国家の目的は国民を自由にすることにある」(「神学政治論20章」スピノザ)
スピノザはデカルト哲学の影響を受けているが、デカルトも母国のフランスを追われて晩年の20数年間をオランダで過ごしている。有名な「方法序説」など、世界を変える著作がこの地でかかれた。
オランダは世界に先駆けて独立戦争を戦い、市民社会を創造した。デカルトやスピノザの哲学思想も自由と平等を尊ぶオランダ人であればこそ、広く受け入れられたのだろう。そして彼らの哲学もオランダの合理的な生活様式から多くを学んで出来上がったのに違いない。
「ユートピア」を書いたイギリス人のトーマス・モアもオランダ大使だったことがある。また、モアの後継者ともいうべき人民主権説の思想家ジョン・ロックは名誉革命までの4年間をオランダに亡命していた。彼の「市民社会論」はオランダ研究のたまものとも言える。
私がもっとも注目する「遊びの哲学」を展開した「ホモ・ルーデンス」のホイジンガーもオランダ人である。彼は文化は世知辛い生存競争からではなく、遊びのなかから生まれると主張している。オランダはルーベンスやフェルメール、ゴッホなどの芸術家も生んでいる。物理学者ではホイヘンスやローレンツなど。
自然科学関係のノーベル賞受賞者の数を見ると、オランダが13人で、日本は6人である。オランダの人口の割合から行くと、日本の16倍以上の数だ。九州とほぼ同じ面積を持つ小さい国なのに、歴史に名をとどめる偉人や天才を輩出している。その上、普通の人々がみんな個性的で輝いているのが、何よりもすばらしい。
オランダには汚職がないらしい。政治のすべてのプロセスがガラス張りになっていて、そうしたスキャンダルが起こる余地がないからだという。現在の首相は労働党のビィム・コック氏で、大臣たちはいずれも40歳代の颯爽とした若手である。議員もまた能力主義で選ばれており、年齢の比較的若い議員が多いという。
ちなみに国会議員に占める女性議員の比率は36.0%で、調査対象177国のなかで第5位の位置をしめている。日本の女性議員の比率は衆院が4.6%で92位だという。フランスは10.9%(56位)と低いが、今年1月に世界初の「男女同数法案」が下院を通過し、これから大幅な改善が行われそうだ。オランダも元来女性進出の遅れた国だったが、最近は改善が著しい。
こうしたオランダにおける女性進出は、最近の経済的繁栄とあわせて、1982年に政・労・使三者で結ばれた「ワッセナーの合意」によるワークシェアリング政策の賜だが、ビィム・コック氏はこれを成立させた労働側の立て役者だった。
ワッセナーはハーグの郊外にある田舎町で、高級住宅街があるところ。オランダ経団連会長の自宅もここにある。そこへ当時の首相と労働組合連合の会長だったビィム・コック氏がまねかれ、三者で雇用確保を最優先させるとりきめがなされた。
その頃オランダは不況の最中で、12パーセントという最悪の失業率に苦しんでいた。そこでビィム・コック氏はこの会談に臨むに当たり、労働者に対する大規模なアンケート調査を行った。その結果、労働者の過半数がパートタイム労働の促進に賛意をしめしており、たとえ賃金が下がっても、労働時間を減らして、家庭と仕事の両立を望んでいることがわかった。
こうした労働者の意向を背景に、この世界の労働界でも画期的なワークシェアリングの政策が産み出された。そしてこの政策が見事に成功して、10数年後の現在、ヨーロッパの多くの国でいまだに失業率が10パーセントを超えている中で、ひとりオランダの失業率は3パーセントを切ろうとしており、経済は「オランダの奇跡」とよばれる活況を呈している。
オランダのスキポール空港は5本の滑走路を持ち、そのうちの4本が4000メートル級である。日本の成田空港や関西空港が4000メートル級の滑走路を1本ずつしかもたないlことを考えると、その充実ぶりはめざましい。ビジネス誌はスキポール空港をヨーロッパ一、あるいは欧米一の実力を備えた空港として上げている。
空の玄関口とならんで、海の玄関口となるのが、ロッテルダム港だが、ここでは年間3億トンの貨物を扱い、ヨーロッパ域内の3億5千万人の市場の玄関口になっている。ヨーロッパのどの港よりもコンテナの扱い量は多く、その規模は世界で二位である。しかもロッテルダム港からスキポール空港までは80キロしか離れておらずその抜群のネットワークのよさを誇っている。
オランダはIT革命でもヨーロッパの先端を行っており、オランダのパソコン普及率は50パーセントを越えている。アムステルダムの街には公衆電話ならぬ公衆インターネットが点在しており、市民生活のなかに浸透している。
なおオランダ人の外国語力はヨーロッパでも飛び抜けており、たとえば英語が話せる人の割合はベルギーやドイツが41パーセント、フランスが32パーセントに対して、オランダは77パーセントに達する。
ドイツ語はフランスが9パーセント、イギリスが5パーセントなのに対して、59パーセントと、たいていのオランダ人が母国語のオランダ語の他に、英語やドイツ語、もしくはフランス語を話すことが出来る。国際的な情報が飛び交うインターネット時代に、こうした多元語力は大きな武器であり、みえないインフラとしてオランダの経済の躍進を支えているようだ。
こうした中で、労働党を率いるビィム・コック氏が、1994年からキリスト教民主同盟政権にかわりオランダの首相を務めている。与党の労働党はオランダ最大の政党だが、下院150議席のうち45議席を占めるに過ぎない。したがって、自由民主国民党や民主党と組んで、連立政権をつくっている。野党ではキリスト民主同盟が29議席、グリーン・レフトが11議席、あとはマイナーな政党が8つほどある。
もともとオランダの政党は、右派の自由主義政党、中道のプロテスタント政党、同じく中道のカトリック政党、左派の社会民主主義政党と4つのブロックに分かれていた。そして政党を頂点に、これらの支持者はそれぞれ別の社会グループを形成した。
各社会グループごとに、学校、病院、保険、労働組合、雇用者団体、農民団体、新聞、小売店など、人々の生活は各々のグループの中で編成されてきた。こそしてのように宗派別、イデオロギー別に分離した社会は「柱状社会」と呼ばれている。オランダはこの4つの柱が協調することで、多党分立ながら、政治的な安定を保ってきた。
こうした社会構造が根底にあるかぎり、政党も多極化せざるをえない。アメリカやイギリスのような二大政党制とはひと味違った民主主義のかたちがオランダをモデルとして考えられる。実際、オランダの政治学者レイプハルトは、こうした複数の極をもち、柱状社会の「柱」の協調によって産み出される民主制度を「多極共存型デモクラシー」と名付けている。
オランダには、政府に政策を直接提言できる審議会や諮問機関のネットワークが張り巡らされている。審議会は背不の規則により設立され、政府は諮問内容についての対応を回答する法的義務を持ち、諮問委員会は、各省が独自に設定するもので、NGOなどを指名する場合が多いという。
オランダはNGOの活動が活発で、諮問委員会での政策提言の他、社会福祉サービスの提供や、ODA
(政府開発援助) の代行機関としての役割もある。NGOは政府に補助金も含め全面的に支援を受けているが、ODAの代行に関しては選定されたNGOの各プロジェクトは政府の事前承認なしに、事後の年次報告でよしとされるなど、その自由は保障されている。
オランダはNGOをはじめとする様々な機関のネットワークが政府の手足となり、また時には頭脳となって活動している。国民のほとんどはこうしたネットワークに参加し、その活動を通して日常的に政治や社会に影響を与えることができる。
政党がこうした確固とした支持基盤をもち、社会の中に根を張っていることが、オランダの柱状政治の特色だと言える。政策がなく、政略ばかりという日本の政治家と違っていて、オランダの政治家は政策を重んじるので、日本のように選挙の最大勢力が「支持政党なし」で、そのときどきの流れで気分的に投票するということはない。こうしたこともオランダの政治をわかりやすく質の高いものにしている。
オランダが多極型社会なら、アメリカやイギリスなどのアングロ・サクソンは階級対立の2極型社会、そして日本はいまのところ一極集中型社会と呼べるかもしれない。ある意味で多元的価値を尊ぶ多極型共生社会のオランダとは対照的な日本である。しかしこれからは日本も価値の多様化が進行し、政治も多極化していくものと思われる。そうした時代の変化を見逃さずに、日本の風土にあった自前の民主主義を、私たちも将来に向けて構築して行くべき時なのかも知れない。
ところでオランダには汚職政治家がいないが、公務員の汚職もないという。警察官の不祥事などもなく、もの腰のやわらかさは特筆にあたいするほどらしい。「物語オランダ人」の中で、倉部誠さんはこう書いている。
「おなじ警察官でも、これが隣国のベルギーへ行くとたちどころに、警察の構造的腐敗は当たり前、同じ政党に属する同僚の腐敗を調査していた元副首相が暗殺され、その政党が組織的に証拠隠滅まではかるのですから本当に不思議です」
オランダに住んでいるから不思議に見えるのだろう。日本に住んでいると、政治家や公務員の不祥事は当たり前で、汚職がないオランダの方が不思議に思われる。麻薬やセックスに寛容なオランダで、政治家や公務員の汚職や不祥事がないというのも信じがたいことだ。しかし、これも包み隠すことを嫌い、すべてガラス張りにするという、開放的な国民性からくるのかも知れない。
北さんから、なぜ「無常と言うこと」とは言うのに、「無常というもの」とは言わないのか、質問を受けた。Tenseiさんによれば、「無常観というもの」という言い方はあるとのこと。
私の考えを言えば、「モノは主語となりうる実体をあらわす」「コトはその実体の在り方(状態)をあらわす」ということだ。実体(主語)は実際に存在するもの(固有名詞、一般名詞)ばかりではなく、「真・善・美」や「無常観」と言った理念(抽象名詞)もふくむ。
こう考えれば、「無常」がコトに、「無常観」がモノに分類される理由ががわかる。つまり、「無常」というのは状態概念だから、コトでうけるのが相応しいわけだ。だから、もともと「○○ということ」というのは日本語として少し無理がある表現で、「○○であること」というのが自然である。
なお少し付け加えると、「無常であること」という風に、コトをつけることで、状態は名詞化(実体化)される。だから、「人間というモノ」と言う場合、人間=モノだが、「人間であること」と言う場合は、人間=コトではない。「人間である」という状態を名詞化しているのである。
そうすると、世の中には二つの世界が存在することになる。すなわち、「モノの世界」と「コトの世界」である。今日は「モノの世界」について、もう少し考察してみよう。
たとえばここに大きな岩があるとする。そうすると、昔の人は一体誰がこんなに重いものを運んできたのか不思議に思ったに違いない。そして人知と人力を越えた世界をそこに感じた。そうした人知と人力を越えた世界が「モノの世界」である。
「モノの世界」は今日でいう「物質の世界」とは少し違っていて、それは、同時にまか不思議な神々の支配する世界でもある。昔の人は、人間の向こう側にある人力の及ばない世界に畏敬を覚え、これを崇拝した。森や川や岩などがそうである。蛇や熊やキツネでさえも信仰の対象になった。
人間も死者はもうこちら側の世界に属さないので、一種のモノということになる。時には生者でさえも、モノになった。生き霊とか鬼がこれである。源氏物語を読むと、いたるところにこうしたモノノケが顔を出している。こうした鬼やモノノケについての恐ろしい話が、すなわち「モノ語り」であった訳だ。だから「源氏物語」はたしかに「モノ語り」の資格をそなえている。
こうしたモノの世界は近代が始まり、人知や人力が拡大するとともに、急速に衰退していった。「モノ」は単なる物質上の「物」になり、もはや畏敬の対象ではなくなった。こうして「モノの世界」は「物の世界」へと姿をかえていった。「モノ語り」も「物語」になって、つまらなくなった。
しかし、今日でも「モノの世界」がまったく滅びたわけではない。たとえば、私たちが日常的に使う言葉にもその痕跡が残っている。私たちは「子供は親に反抗するモノだ」という風な言い方をする。このとき、モノという言葉は「私たちの力では変えることができない掟」のようなものを表している。モノはこうして、北さんのいう「普遍的原理」に結びつく。
北さんの質問をもう一度繰り返せば、「諸行無常」もこうした普遍的原理だから、「モノの世界」に属するのではないかということだ。そうすると「無常というモノ」という言い方ができる筈だが、まずこういう言い方は一般的ではない。何故だろう、ということだった。
その答えは、最初に述べたように、「無常」というのがそもそも「状態概念」だということだ。しかし、コトによって名詞化すると、そこになにかしらの「モノ的要素」が付け加えられる。さらに「無常であること」=「無常」と言う風に進んで、さらにこの傾向が進むと、それは「美」や「善」といったイデアの世界に入っていく。
こうした「無常」のモノ化がさらに進むと、「無常というモノ」という表現が可能になってくる。北さんの頭の中では、この過程がかなり進んでいると思われる。しかし、一般人の頭の中ではまだそこまで「モノ化」が進んでいない。
したがって私たちは一般に「無常というもの」という言い方をしないで、「無常ということ」と言う。そして、私はこれが正しい日本語であり、また正しい世界の認識の在り方だと思っている。
その理由については、「人間を守るもの」の「モノの世界とコトの世界」の中でも書いたが、「実体のないものを実体とみなす」ことに反対だからだ。たとえば「国家」がそうであるように。「モノの世界」から「コトの世界」へというのが仏教の「空観」の基本だが、「コトの世界」から「モノの世界」への移行は、迷いの世界への逆行ではないだろうか。
昨日は「モノの世界」について書いた。モノとは実体であり、主語となりうる存在である。しかし「モノ」がその霊力を失うとき、それはたんなる客観的存在としての「物」になる。
現代の私たちは「モノの世界」に生きているという実感は乏しく、むしろ「物の世界」に生きている。ニーチェがいう「神は死んだ」というのはこのことだろう。すなわち、存在には二通りの在り方がある。
@ モノとして在ること
A 物として在ること
しかしここに、もうひとつ別の世界がある。それが「コトの世界」である。コトとは出来事(現象)だが、しかし単なる出来事ではない。それは、人間の精神活動によって生命を与えられた生きた現実である。
「コトがコトとして成立しうるには、私が主観としてそこに立ち会っているということが必要である」(木村敏「時間と自己」)
たとえば、いま私たちの目の前で一匹の蛙が池の中にぽちゃんと飛び込んだとする。それはひとつの何でもない「出来事」である。しかし、それをみた私が芭蕉の有名な俳句を思い浮かべたとしよう。
古池や 蛙飛び込む 水の音
そうすると、「蛙が池に飛び込んだ」という現実が、また違った風に生き生きと体験される。なぜなら、その出来事に私という存在が関与し、立ち会っているからである。それはもはや単なる客観的なよそよそしい出来事としてではなく、私という存在によって意味を付与された、もっと精彩のある主観的な「コト」として存在する。
そうすると、モノの場合と同じように、コトについても、二通りの存在様式が考えられる。
@コトとしてあること
A事としてあること
「モノの世界」とは私たちの向こう側にある「客観的世界」である。これに対して、「コトの世界」は私たちの側にある「主観的世界」だということができる。
そして、「モノ」がモノとしての客観力を失うとき、「物」としての存在に還元されるように、「コト」もまたそこに立ち会うべき主観の力が衰えるとき、それは「事」へと還元される。
しかし「コトの世界」が単なる主観的存在かというとそうではない。それはあくまでも客観的存在として私たちに意識される。だから、それは主観と客観をそれぞれ縦糸と横糸として織り上げられた共同作品だと言える。
そうすると、「客観−コト−主観」という図式が思い浮かぶ。しかし、ここで肝心なことは、「まず客観や主観があって、それらの働き合いによってコトの世界が産み出される」と考えるのは、正しい認識とはいえないということである。ここで思い浮かぶのは、私を哲学に目覚めさせてくれた、つぎの言葉である。
「自我があって経験があるのではない。経験があって自我があるのである」(西田幾太郎「善の研究」)
西田がここで「経験」と言っているのは、私たちの言葉で言えば「コトの世界」である。だから西田の言葉は、「主観や客観があってコトの世界があるのではない。コトの世界がすべてであり、主観や客観はそこから推論された形而上学的観念(ドグマ)である」という風に敷衍される。
そこで再び、基本的な存在様式である、
@ モノとしてあること
A コトとしてあること
について考えてみよう。
西田的経験主義の立場に立てば、Aがすべてであり、コト(経験)を第一義的に考えなければならない。そうすることで、首尾一貫した哲学の体系がうち立てられる。すくなくとも「善の研究」にみられる初期の西田はこのように考えていたのだろう。
しかし、たとえそれが正しい哲学的認識であっても、実際のところ、「モノの世界」は「コトの世界」のただ中に、その彼岸として立ち現れてくる。私たちは「コトの世界」を深く経験するにつれて、いやおうなく、「モノの世界」に対面させられ、そのまか不思議な威力を再認識することになるのではないだろうか。
最近、両親の子供に対する虐待が増えている。とくに母親が荷担して、すさまじいまでの虐待を加えるケースが目立つようになった。こうして虐待を受けて育った子供は、心にひどい傷が残る。その傷を癒すことはなかなか難しいのではないだろうか。
サーカスの曲芸師たちは、セーフティネットがあるので、思い切り芸を磨き、危険なわざに挑戦することができる。おなじように、母親というセーフティネットがあって、子供は安心して人生の冒険を楽しむことが出来る。自立心や独立心を育てるためには、こうした愛の培地が必要だ。
彼らの安全を保障する庇護者がなかったら、子供は大胆な行動を控えて、自ら身を守るために萎縮するしかないだろう。そこからは積極的に人生に関わろうという主体性は生まれようがないし、他人や社会に対する信頼感も育ちようがない。
両親が加害者や敵として子供を迫害するばあい、子供はどこに人生のシェルターを求めたらよいのだろう。そうした寄る辺なき子供たちのために、そして社会全体の幸せのためにも、私たちはお互いが安心して暮らせる「愛のセーフティネット」を早急に用意する必要がある。
成功する秘訣は何か。それは数多く失敗し、その失敗から多くのことを学ぶことだという。失敗は成功の母というわけだ。だから失敗を恐れていては成功はおぼつかない。
たとえ99回失敗しても、100回目に成功すればよい。1回や2回の失敗でへこたれていては、成功のチャンスは得られない。失敗を恐れず、果敢に人生に挑戦する勇気が大切だ。
とはいえ、失敗はダメージを伴う。だから失敗を恐れて一度も挑戦することなく、ただ無難に人生をやり過ごすことしか考えない人も出てくる。しかし、そうした無気力な人間ばかりであふれる社会はあまり魅力的な社会とはいえない。
創造的で活力がある社会とは、失敗を許す社会である。たとえ失敗しても、再び立ち上がり、挑戦し続けることが出来る社会である。社会のバイタリティは、失敗についてどれほど寛容であるかにかかっている。
そして、失敗に寛容な社会は、失敗に寛容な人々によってつくられる。他人の失敗について寛容な人々とは、つまり他人の成功について寛容な人々だと言ってもよい。
日本の教育は画一的だという批判がある。知識偏重で、個性が尊重されず、独創性が育たないという批判である。この画一性がどこから来たのか、その歴史を振り返ってみよう。
意外なことに、明治政府が当初めざしたのは、国家のための教育ではなく、個人のための教育であった。福沢諭吉流に言えば「一身独立して、国家独立す」という考え方が根底にあった。
1872年の学制公布にあたって出された太政官布告では、「身ヲ修メ、智ヲ開キ、才芸ニ長ズルハ学ニアラザレバ能ワズ」と学問こそが世に立つ基であることを明らかにし、「必ズ邑(むら)ニ不学ノ戸ナク、家ニ不学ノ人ナカラシメン」として、教育の平等を強く打ち出している。実際その後わずか5年ほどで2万6千校以上の小学校が設置された。
1879年に出された教育令でも、強制的、画一的教育を排すべきとされた。自由な教育が国の政策だったのである。「国家のために学問をするという考えは誤りで、各人が身を立てるためにすべきである」と述べられている。
1890年に教育勅語が出て、この流れが変わったが、それでも、大正期には「新教育運動」として、自由な教育をめざすさまざまな試みが行なわれた。しかし、この動きは、戦時体制の中で抑圧された。太平洋戦争を控えた1940年、国家総動員態勢が敷かれ、教育にも軍隊式の規律と服従の集団主義が浸透した。
戦時体制下において、個人は国家への絶対的な服従が要求される。1941年に公布された国民学校令はその具体化である。学校行事や団体的訓練などをとおして、徹底的な個人主義敵視、集団主義尊重の、国家主義的画一教育が実施された。
戦後、1947年に学校教育法が公布され、教育理念の民主化がはかられた。しかし、経済復興を優先させる必要から、この理念はほとんど実行されなかった。集団的規律という戦時体制に適した人材は、戦後の高度成長期においても求められた。社会が産業戦士として従順で没個性的、画一的な人材を要求し続けたからである。
東大教授の野口悠紀夫さんは、日本は現在も「1940年体制」を続けているという。つまり戦後半世紀以上経っても、いまだに私たちは集団的画一主義の戦時体制のまま走り続けているわけだ。
しかし、この体制は「工業化社会」では通用したかも知れないが、「情報化社会」ではかえって足かせになる。産業界や企業もこの事に気付きだした。そこで旧体制を脱却して、個性重視のシステムを作り上げることが急務であると発言し始めた。
「1940年体制の打破」は必要だが、そのことで真に自立した個性が育つと考えるのは幻想である。「集団に埋没しない個性を」という教育改革のスローガンは美しく響くが、一体だれのための教育改革であるのか、その根底にあるのは「経済体制優先」「競争重視」の近代的個人主義である。
「一身独立して国家独立す」というのは、現代において、どれだけ意義のある主張といえるだろう。むしろ新しい国家主義の復活でなければ幸いである。現代において本当に個性的な教育を実現しようと思ったら、「地球人類の共生」という国家の枠を超える人類共同体を視野に入れた発想に立つ必要がある。
日本の教育改革に欠けているのはこうした「共生志向」の発想であろう。個人の自由と独立は実のところ、豊かな共同社会のたまものであることを知らなければならない。
アメリカで起きたテロが世界経済に与える影響が心配されている。テロがなくても、アメリカの景気は後退局面に入っていた。テロによってさらに不況が加速されることも考えられる。事実株価が下落した。
アメリカの不況は日本の経済に今後深刻な影響を及ぼすことになるだろう。「構造改革なくして景気回復なし」をキャッチフレーズにしてきた小泉首相も、表向きは「構造改革優先」の立場を崩していないが、今後苦しい選択を迫られることになるかも知れない。
なにはともあれ、待望の構造改革の「工程表」が出来上がったようだ。竹中大臣によると、今回のとりまとめにあたってとりわけ力を入れたのは次の3点だという。
@ 不良債権の問題。政府はこれまでも金融庁を中心にこの問題に取り組んできたが、今回、銀行の検査や企業再生の仕組みを大幅に強化するための積極策を取り入れたという。
A 特殊法人の改革。これについては、原則として廃止・民営化を前提にしてすべての特殊法人等のあり方を検討する。さらに今回、道路4公団、都市基盤整備公団、住宅金融公庫、石油公団に関しては特に結論を急ぎ、年末までに閣議で正式決定することが織り込まれた。
B IT革命の推進。電子政府・電子自治体の実現を大幅に早めること、民間の企業が未利用の光ファイバーを利用できるような規制改革を進めること。
これらの政策に異存はない。とくにA、Bについては、景気後退とは関係なく実行できるはずだ。@についてもこれまでのように無為無策のまま問題を先送りするだけではいけない。
私が小泉さんに望むのは「構造改革なくして景気回復なし」ということよりも、もっと本質的な「国民生活改善のための構造改革」を実行してほしいということである。景気景気と騒いでいる間は、とうてい腰の据わった改革は無理だろう。
(参考サイト) 「改革工程表」パンフレット(経済財政諮問会議)
http://www5.cao.go.jp/shimon/index.html
空母キティホークが1日午前10時過ぎ、報復作戦に必要な支援を行うために、米海軍横須賀基地を出港した。小雨の降る東京湾には、海上保安庁の巡視船艇24隻、航空機3機と海上自衛隊の護衛艦が警備にあたったという。
小泉首相は9月19日、唐突にアメリカ支援の6項目を打ち出した。自衛隊法の改正、新法の制定、自衛隊艦船による後方支援・情報収集など、これまでの憲法解釈を大きく踏み出した超法規的措置といえる。
ここでアメリカの機嫌を損じたら大変と、躍起になっているようだ。日本の判断と決断による国際協調行動というより、アメリカに追従しようとしているだけのように見える。そして気がついたら、戦場の真ん中に投げ込まれ、いいようにアメリカに利用されることになりそうだ。
戦費の面でも、アメリカはその多くを日本から調達しようとしている。日本政府は正規の戦費として湾岸戦争を上回る150億ドル以上の米国支援を考えているという。さらに、正式な資金協力とは別に、日米間では政策協調によるアメリカへの資金還流計画が着々と進められている。
日銀は9月18日に公定歩合引き下げを発表した。先行利下げしていた欧米に合わせることで世界的な株価暴落を防ぐというのが表向きの理由だが、日銀の金融緩和によって、邦銀は経営危機の中で資金だけは過剰にあるというバブル状況が生じている。
いくら資金が余っても、巨額の不良債権処理を迫られている銀行は企業への貸し出しを増やせず、資金は米国市場への運用に向けられる。その結果、米国の多くの銀行は邦銀へのドル貸しで濡れ手で粟の利益を得る。彼らの利益は税金として国庫に入るから、日本が金融緩和をすればするだけ戦費を稼がせていることになる。
先日の日米首脳会談で、ブッシュがまず小泉首相に求めたのが、不良債権問題の早期解決だった。アメリカは日本政府が非常事態を口実に経済統制を発動して銀行に湯水のように税金を注がせようとしている。しかし低金利政策の元でだぶついた銀行の金は、結局アメリカに流れ、結果として米国に戦費を上納してくれることになる。まさに米国の戦費調達のための隠れたシステムである。
日本の低金利政策はつねにアメリカの金利政策の影響下に置かれている。1980年代のバブルの発生もそうだし、今回もそうである。資金はその自然な性質として、少しでも利益を生もうと金利の高いところへ流れる。日本の金融資産の多くは、こうしてアメリカに吸い上げられ、結局はアメリカのバブルを生んだ。そしていま、テロ報復の莫大な軍資金になろうとしている。
米国防総省の「共同防衛に対する同盟国の貢献に関する報告」2001年版によると、現在、在日米軍45,000人に対し、日本の年間負担額は約51億ドルを越えている。これはダントツの世界一で、二位のドイツ(13億ドルあまり)以下24カ国の合計33億1700万jをはるかに上回っている。
その内訳は、いわゆる「思いやり予算」にあたる労務費、施設建設費、水光熱費など、実際の財政支出を伴う「直接支援」が39億5700万ドルで、残りの12億ドルあまりが基地の地代や税金の免除などの「間接支援」ということである。
「思いやり予算」には、米軍基地で働く2万3千人ほどの日本の民間人の人件費と、駐留米軍の電気/ガス/水道代が含まれる。日本人労働者には、ゴルフ場のマネージャーやスロットマシンの修理係、料理人が含まれている。アメリカ軍の内部資料によると、「日本は一番経済的にアメリカ軍を駐屯させる事が出来る国なので、軍の移転や縮小は考えられない」と書かれている。
ところで、日本がこれほどの税金を費やしてアメリカ軍を駐留させているのは、「アメリカが日本を守ってくれている」と考えるからだ。しかし、同じ質問をアメリカ人にすると、「日本が再び軍国化するのを防ぐため」という解答がかえってくる。そしてかって日本に侵略されたアジア諸国もまた、アメリカ軍の日本駐留の意義を同様に考えている。
そうすると、日本は自国が軍国主義化しないために、年間51億ドル以上の税金を費やして、外国の軍隊に駐留してもらっているということになる。そればかりではない。アメリカが他国と戦争するばあい、その重要な前進基地となる日本がまず敵の標的にされるだろう。アメリカ軍のプレゼンスはかえって日本の平和を脅かしている。
この滑稽で愚かしい現実に多くの日本人は一刻も早く気付くべきだろう。51億ドルものお金を、アジア友好のために使えば、はるかに効果的だし、日本の平和にも役立つのではないだろうか。
小泉首相が「所信表明演説」でダーウインの進化論に触れたそうである。自然淘汰説によれば、「生存競争」によって、「環境に適応できる生き物」だけが生き残る。
小泉首相はこれを「変化に対応できる生き物だけが生き残ることができる」という風に発言したようだ。「環境」と「変化」、わずかな言葉の違いだが、この違いは注目すべきだろう。
従来の自然淘汰説は、環境の安定を前提に、その環境に最も適合した種が生き残ると主張してきた。しかし環境が激変する局面においては、むしろ環境に適合すべく高度に進化した種の方が、絶滅する傾向にある。
例えば、恐竜が繁栄したジュラ紀と白亜紀は、高緯度地域を含めた地球全体が高温多湿で常夏の無氷河時代であった。この環境に適合しすぎた恐竜は、白亜紀末の気候の寒冷化を生き抜くことができず、絶滅したと考えられる。環境に適応しすぎると、変化に対応する能力が失われるのである。
今は変化の時代である。小泉首相は政治の世界では変わり者だと思われていた。永田町の環境に充分適応しているようには見えなかったが、世論の変化に敏感に対応して、あっというまに頂点に上り詰めた。「変化」に対する適応力が高かったことが、彼が成功した秘訣だろう。
現代の社会や経済はたしかに進化論で説明されるとわかりやすい。しかし、科学の装いをまとった生半可な進化論は、少し用心してかからなければならない。社会が「競争と淘汰」によって発展するとうそぶく「社会ダーウィニズム」がその先に待ちかまえているからだ。
「社会ダーウィニズム」は強者の支配を合理化するために使われる。西欧列強の植民地支配や帝国主義、奴隷売買や人種差別、ドイツのナチズムがここから生まれている。大企業のリストラを応援し、中小企業の淘汰を押し進める小泉改革に、冷酷な「社会ダーウィニズム」の匂いが感じられる。そう思っていた矢先の国会発言だった。
「変化に対する適応力」とは、身軽に自分の意見や立場を変える保身術にも通じる。しかしこうした適応力をいくら身につけても、ほんとうに大切なものが手にはいるとは限らない。大切なのは、一本筋の通った思想や哲学だろう。そうしたものがあって対話が成り立ち、この対話を通して社会が発展するのである。
小泉首相はブッシュと並んだ共同記者会見で、アメリカの記者に「日本はどのような貢献が出来るのか」と訊かれて、「ウイ・アー・フレンズ、エブリィシング」と英語で答えたという。エブリィシングとは何でも差し上げるということで、日本の首相の気前の良さにアメリカの記者たちも驚いたらしい。強い者には無条件で従えと言うのが彼の哲学だろうか。
日本やアメリカで失業率がじわじわ上がってきている。失業率を下げるにはどうしたらよいか。経済を活性化し、景気を回復させればよいというのがこれまでの右肩上がりの時代の考え方だった。
しかし、これからのIT化時代にはこの考え方は成り立たない。IT化は生産性の飛躍的な向上をもたらす。機械化によってブルーカラーが大幅に淘汰されたように、IT化はホワイトカラーの大幅な淘汰をもたらす。
生産性の向上は「労働の合理化」であり、リストラでもある。現在世界で進行中のデフレ現象も、その本質をつきつめればIT化による生産性の向上の結果だと言える。
10人が8時間働いてこなせる仕事が4時間でこなせるようになったからといって、5人を解雇するのではなく、10人を雇用したまま、労働時間を半分にすることが必要なのである。そうすれば、失業は発生しないし、むしろ自由時間の増大が、新たな需要を喚起し、経済を活性化する。
一般に、生産性の向上は労働の短縮を生み、自由時間の増大と、精神的に満ち足りた生活を可能にする。生産性の向上が失業を産むのは、社会システムに問題があるからである。したがって、IT化時代に対応した新しい社会システムを早急に構築する必要がある。
アフガンでは、79年の旧ソ連軍侵攻とその後の内戦で、人口の3分の1が隣国のパキスタンやイランへ流出したという。さらに昨年、アフガンを空前の大干ばつが襲った。被害はアフガン全土から周辺諸国に広がり、400万人が飢餓に直面。100万人が餓死寸前との世界保健機関(WHO)の報告がある。
非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表、中村哲医師らはこの大災害を目にして一人でも多くの人を助けるために干ばつ対策に専念することを決断し、アフガン東部一帯で井戸掘りを始めた。その結果、約1年で20万人以上の難民化を防いだという。ところが、命をつなぎ留める地下水でようやく息をつきかけたころ、今回の同時多発テロが起きた。
日本人に退去勧告が出されたとき、中村さんはアフガン東部のジャララバードで、ともに作業したアフガンの人たちを前に「やむを得ず一時避難します。米国による報復でここも危険にさらされています。しかし、私たちは必ず帰ってきます。生き延びたあかつきにはまた汗を流しましょう」と語りかけた。
そうすると長老が立ち上がり、「皆さん、世界には2種類の人間があるだけです。無欲に他人を思う人、そして己の利益を図るのに心がくもった人です。私たちはあなたたち日本人と日本を決して忘れません」と応えたという。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、アフガンで発生した難民は世界最多で、同時多発テロ直前の9月10日現在、パキスタンに200万人、イランに150万人など計約370万人に上るという。
さらに今、戦火を恐れ100万人以上の避難民が農村部や国境付近へ逃れている。攻撃が始まったことで、新たに150万人の難民が隣国へ流出すると予測される。
内戦と干ばつ、そしてこのたびの戦禍で、多くの人々が家を捨て、難民となって路頭に迷っている。この悲劇が終わるのは何時のことだろう。テロへの報復を叫ぶ人々の目に、この現実が見えているのだろうか。
最近、何だか憂鬱である。アメリカで起きた大規模なテロや、その後の動きを見ていると、言いようもなく淋しい気分になる。とくにアメリカによるアフガン空爆の報道に接してから、この気分ははなはだしくなった。空爆そのものも不愉快だが、それ以上に気を滅入らせるのは、それを当然と考える世論の趨勢である。
正直言って、タリバンやビンラディンが好きではない。アメリカで起こった同時多発テロとの関わりはかなり濃厚だし、たぶん限りなく黒に近いのではないかと思う。しかし、だからといって、これを悪の代名詞のようにきめつけて、「殲滅せよ」というのはどうだろうか。まさに洗脳された狂気の世界に生きているような不気味さを覚えずにはいられない。
こうした病的な志向性はナチズムの全体主義やユーゴスラビア内戦で行われた民族浄化の思想にも通じている。あるいは異物を排除しようとする現代の極端な清潔志向の現れと見ることも出来よう。その根底にあるのは現代人が魂の内部に押し殺している死にたいする恐怖や不安であろう。
私は今アメリカが行っている軍事行動は、テロリスト以上に罪深い所業だと思う。それは何も、この無慈悲な攻撃によってあらたに何百万という難民が生まれ、さらに悲惨な状況が無実の人々の上に覆い被さるからという理由からだけではない。
テロリストに対して、だれも愛や正義を要求することはない。しかし、自由と民主主義を標榜する超大国アメリカに、私たちはもうすこし高尚なものを要求したいのだ。アフガンの歴史を見れば明らかなように、アメリカにはこの地域が直面するさまざまな危機的状況にたいして歴史的責任がある。このことをもう少しアメリカは自覚すべきだろう。
アメリカはテロリストを打倒するだけではなく、この地上をもう少しまともなものにしたいと考えている人間の理想と努力をもうち砕こうとしている。そうした人類の未来に対する夢と理想を無慈悲にうち砕き、世界の良心的な人々や飢餓に苦しむ人々にこれ以上の絶望を与えることをして欲しくないのである。
「ぼくは思う。暴力は暴力の連鎖しか生まない。報復をすればさらに凶悪なテロの被害が、アメリカ人だけでなく世界中の人間に及ぶことになろう。巨大な破壊力をもってしまった人類は、パンドラの箱を開けてはいけない。本当の勇気とは報復しないことではないか。暴力の連鎖を断ち切ることではないか。人類の叡智と勇気を誰よりも示せるのは、世界一の力を自ら動かすことのできるブッシュ大統領、あなたではないのか」
これは音楽家の坂本龍一さんが朝日新聞に寄せた一文である。ニューヨーク在住の坂本さんは、第一報を聞いて、いてもたってもいられなくなり通りに出たが、炎上するWTC(世界貿易センター)ビルを茫然(ぼうぜん)と見ながら、腰が萎えるようなショックを受けたという。そうした悲惨を目撃した彼が、その怒りと悲しみを乗り越えて、このような文章を書いていることに、私はいくらか心に明かりが灯る思いがした。
報復しない勇気だけが希望を生む。しかし、空爆は始まってしまった。時間の針はもう元には戻せない。したがって私たちは新たな希望を創り出さなければならない。そして希望はこの場合も「報復」の中にはなく、「対話」の中に求められる。アメリカに少しずつ理性と冷静さが戻ってくることを期待しよう。タリバンを殲滅しようとするのではなく、これと対話し、ときには妥協することが必要である。
アフガニスタンが平和で豊かな国になることが、すなわち私たちが平和で幸福に暮らす前提なのである。これを今回のテロから私たちが学んだ第一の教訓にしたいものだ。繰り返し書いておこう。報復からは何も建設的なものは生まれない。私たちは時には「悪」とすら対話を試み、これと共生する忍耐を持つことも必要である。
それはたしかに困難な道かも知れない。しかしこの試練を乗り越えることなくして、人類はもはや希望のある未来を切り開くことは出来ない。報復がもたらすものは、たんなる破壊である。そこにあるのは「力による支配」を正当化する弱肉強食の論理であり、その行き着く先にあるのは、人間の人間に対する不信と、人間という存在に対する「絶望」だけだろう。
ブッシュ大統領は、どうしてテロを受けたと思うかと訊かれて、「それは我々があまりにGOODだったからだと思う」と答えている。たしかにアメリカは唯一の超大国として繁栄していた。地上の10億の人々が極貧状態にあるなかで、地上の資源を惜しげもなく使って、華やかな消費生活を送っていた。そして人々はそれを文明と呼んでいた。
世界貿易センタービルはその文明の豊かさと優秀さの象徴だった。そこには世界の一流企業が本社を置き、世界経済の最先端で活躍するエリートたちが働いていた。世界で最も豊かで自由で安全な場所、それがニューヨークの中心部にそびえ立つ世界貿易センタービルだった。
もし、これと全く対照的な世界はどこかと言われたら、それはアフガニスタンということになるだろう。飢餓と疫病、そして地雷と戦争の恐怖の中で、人々は地を這うような悲惨な暮らしを強いられている。
この対極にある二つの世界はしかし、無関係ではない。アメリカの繁栄とアフガニスタンの貧困は、実はふかいところで繋がっている。端的に言えば、我々もふくめた西側世界の豊かさは、もう片方の世界の貧困を代償にして成り立っているのである。この地上における豊かさと貧しさは双子の兄弟だと言ってもよい。
世界貿易センタービルは何故ツインビルなのだろうか。それはある心理的な充足感と安定感を私たちに与える。しかし、この充足感や安定感は見せかけであった。そればかりか、この世界の奥深い対立と矛盾を隠蔽するための虚像でさえあった。そのことを、こんどのビル崩壊の無残な映像が雄弁に語っている。
しかし、このことをアメリカ人は実はすでに心の深いところで意識していたのではないだろうか。そう思わせるものが、このところのアメリカ映画にふんだんに描かれていたからだ。たとえば数年前に空前のヒットを記録した「タイタニック」がその代表だろう。
アメリカ人は映画の中でやたらと自動車や地下鉄や飛行機や高層ビルなど、次々とモノをぶっこわし続けてきた。作家の日野啓三さんはこのことについて、「アメリカ人たちは意識下では自分たちがつくり出した機械文明が憎らしくてたまらないのではないか」(新たなマンハッタン風景を)と書いている。
機械文明に対する憎悪もあるだろう。しかし、むしろそこにあるのは現代文明のいかがわしさにたいする不安やかくれた罪悪感ではないだろうか。この繁栄が実は実に脆いモノで、それはいつか何者かによって破壊されるに違いないという暗い予感である。
ツインビルは鏡のように自画像を写す。人はビルの中にいながら、ビルの中にいる自分の姿を、眼前の双子ビルに重ねて想像することができる。しかし、そこのあるのは異質なモノとの対話を拒んだ、自己閉鎖的な安心感と満足感でしかない。その虚像の欺瞞に人々はすでに気付きはじめていた。そして不安と焦燥が広がりつつある中で、まさに今度の事件が起こるべくして起こった。
ところで、いまアフガニスタンは史上最悪の干ばつに襲われている。干ばつは突然やってきたものではない。この十数年間、アフガニスタンを東西に横切るヒンズークシ山脈に降る雪の量が毎年目に見えて減り、雪解け水の量も激減していたという。あきらかに地球温暖化の影響だろう。
そしてとうとう昨年アフガンには雨が一滴も降らなかった。川は干上がり、地下水の水位が下がって、井戸は枯れた。田畑や牧草地は乾き、砂漠になった。飢餓と水不足で約100万人が餓死し、今も餓死しつつあるという。
このことは全くといっていいほど先進国では報道されなかった。アメリカは地球温暖化対策には冷淡で、京都議定書にも同意せず、ただ自国の経済の繁栄を優先させた。しかし、環境破壊の上に成り立つ繁栄がいかに危うく脆いものか、今度の世界貿易センタービルの崩壊を機会に、私たちはもう一度根本から考えてみるべきではないか。
ニューヨークを訪れた観光客の多くは世界貿易ビルに登った。そして自分を数百メートルの文明の高みにおいて、世界を睥睨した気分になった。しかし、私たちはときには、アフガニスタンの難民キャンプの中で飢えと寒さに息絶えようとしている子供の目で、世界を眺めてみるべきではないか。そのとき、世界は全く別物に見えるに違いない。
NTTはグループ社員14万人のうち、10万人を子会社に移管する計画だという。なかでも51歳以上の社員はいったん雇用契約を切り、子会社で賃金水準を大幅に(15〜30l)カットして再雇用するのだという。かなり思い切ったリストラ作戦だ。
中高年がリストラの対象になっている。中高年はリストラされると、再就職もままならない。私は51歳だが、私くらいの年齢の人だと、高校生や大学生の子供がいて、家計のやりくりが大変なときだ。賃金カットもかなりの痛手になるのではないだろうか。
私の場合、さいわい公務員ということで今のところ解雇の恐れはない。しかし愛知県の放漫財政のつけで、このところ3年連続で賃金カットが続いている。これでは住宅ローンや子供の教育費は捻出できない。じつのところ、毎月赤字続きで、定期預金を解約してどうにか辻褄をあわせている。
日本の賃金体系はこれまで年功序列型だった。それがアメリカ標準の能力給体系に移行しつつある。たしかに50歳を越えれば一般的に体力的にも知力の面でも減退する。働きに見合った賃金をということであれば、とうぜんその水準が低下しても仕方がないのだろう。
私は基本的に能力給に賛成である。私自身の場合を考えても、あきらかにここ数年教師としての生産性は下がっている。体力的に無理は利かないので、部活なども熱意が湧かないし、生徒と正面からぶつかる情熱もない。これでは教師失格かなと思いながら、なんとかお勤めをはたしている。
しかし、私の半分ほどの賃金しか貰っていない若い人が、私以上の仕事をこなしているのをみると、申し訳なく感じる。だからいっそうのこと、能力給とまではいわなくても、年功序列はやめたほうがいいのではないかと考えるわけだ。そのほうが気が楽になる。
こうしたことは教員だけではなく、おおくの職場であてはまるのではないだろうか。中高年の再就職がままならないのは、彼らの賃金水準が相対的に高すぎるからである。私はアメリカ流のグローバリズムに必ずしも賛成している訳ではないが、賃金体系についてはもう少し合理的なものに変えていく必要があるのではないかと痛感している。
ただし、その場合大切な前提がある。アメリカやヨーロッパの場合、親が子供の学費を負担することはない。高校までの学費はほとんどかからないし、大学生は奨学金とアルバイトで自活することができる。また、住宅ローンなどというものに苦しむこともない。
つまり、日本の中高年とは社会的に置かれた状況がまるで違っている。今後、日本の賃金体系は年功序列が崩れて、能力給体系に変わっていくだろう。その場合、中高年に負担をしいないこうした社会システムが完備されることが必要だろう。
昨日は同人誌「象」の編集会議があった。主宰の水田洋先生をはじめ、北さん、私、稲垣、桜井、黒澤、加藤の7人である。出来上がった校正刷りを各自が手分けをして、最終チェックをする。それから、みんなで挿し絵になるカットを選んだ。
同人誌は「作家」以来20年以上参加しているが、編集委員になったことはなく、今更ながらこうした裏方の苦労がわかった。しかし、この苦労も、苦痛ではないのは「象」の編集会議の雰囲気がいいからだろう。
編集会議自体は3時間ほどで終わり、あとは飲んだり食べたりして無礼講である。アフガンやオランダ、ギリシャの歴史などが話題になり、盛り上がった。アフガン問題については、アメリカのアフガン制裁のありかたに問題があるとして、「象」有志で緊急アピールを出すことになっている。
昨日の朝日の朝刊に、中村哲さんがアフガン問題について、「難民を出さない努力が先」という題で書いている。中村さんによれば、難民数百万人というが、難民になれるのはまだ恵まれている階級で、悲惨なのは難民にもなれずに放置されている大多数の棄民たちだという。
アメリカのタリバン攻撃によって、この棄民が大量生産されつつある。中村さんは「正義の国アメリカ」対「悪のタリバン」という図式はわかりやすいが、たいへん無理があると言う。むしろ「近代文明を自負する国際社会」対「その枠内に収まりきらないアジアの伝統社会」の対立と考えた方がよいという。
「旧ソ連軍の10万の精鋭をもってしても制圧できなかったアフガニスタンの広大な国土の9割がわずか2万のタリバン政権で支配され続けたのは何故か。この事実の背後には、アフガン民衆自身が過去20年以上の内戦に疲れ切り、平和と国家統一を求めていたことがある」
「天声人語」のたとえをかりよう。いま国際社会の人口が100人だとする。そうすると白人は30人だそうだ。実質この30人の主導権の元に世界が運営されているわけだ。そして世界の富の60lがわずか6人によって独占され、そのすべてがアメリカ人ということになる。
大学教育を受けることができるのは1人、コンピュータを所有しているのも1人だけ。その一方で50人が栄養失調状態に置かれ、1人は瀕死の状態のまま放置されている。国際社会のこうした現状を変えていく努力こそが「正義」の名にあたいするのではないか。
総務省の発表によると、9月の完全失業率は5・3%で、これは史上最悪だそうである。前月より一挙に0・3ポイント悪化したのも1967年以来のことだそうだ。
電機メーカー大手が大幅な人減らしに踏み切るなど、製造業の雇用が減り続けている。この先不良債権処理を含めた構造改革が進めば、さらなる失業増は避けられない。同時多発テロや狂牛病による影響もやがて出てくるだろう。
さらにアメリカの経済成長率がマイナスに転じたという報告があり、今後この影響が日本の輸出産業の不振となって跳ね返ってきそうである。このままではこれからますます失業率は悪化しそうである。
こうした中で、10月18日に日経連と連合が「雇用に関する社会合意推進宣言」を共同でまとめた。ワークシェアリングや賃上げ自粛により、全体のコストや雇用を生み出していこうというわけだ。正社員にこだわらず、パート労働を容認し、しかもパートにも正社員に準じた給料や待遇を保証する制度は、すでにオランダで成功している方式である。
これまで労働時間短縮と引き替えに賃金がカットされることや、パート労働の増大に抵抗を示していた労組側がようやく作戦をかえて、賃上げやパート労働に柔軟に対応する姿勢をみせはじめたのは大きな前進だといってもよい。
73年秋の石油危機時にはパートなどを解雇し、正社員の雇用を守ったが、今回の不況では、正社員を減らし、パートや派遣などの非正社員を雇う現象が起きている。たとえばこの5年間に正社員は約200万人減り、パートや臨時雇いは200万人以上増えた。
ここで問題なのは、パートなど非正社員の働く条件が正社員に比べ悪いことである。パートと正社員との賃金格差は6年前まで30%程度だったのが、現在は34%にまで広がっているという。この格差を縮めることで、実質的なワークシェアリングが実現できる。
正社員だけが、責任のある仕事をし、長時間労働をする時代ではない。正社員とパートなどの非正社員との境目を低くし、雇用や賃金を分け合うことが雇用悪化を食い止める大きな手だてになる。
オランダの場合は労使に加えて、政府が同意に加わり、3者の合意で一気にワークシェアリングが実現した。12パーセントもあった失業率が、十数年間で3パーセント台にまで下がっている。日本の場合も政府がこの合意に加わることで、早期にこの合意を実現させたいものだ。
高失業という逆風を、むしろ奇貨とすることでワークシェアリングが実現できれば、私たちは余暇重視型のあたらしい生活スタイルへ脱皮することもできる。そうすれば私たちは今よりは格段にしあわせな、実りある人生を楽しむことが出来るだろう。
北さん、徳さん、eichan、ひらさん、私の5人で、恒例1泊2日の「万葉の旅」にでかけた。初日は琵琶湖湖畔にある高月町を訪れ、渡岸寺と立石寺の十一面観音さまを拝んだ。
渡岸寺の観音さま(国宝)は気品がただよい、匂うような美しさだった。立石寺の観音さま(重文)は唇がほのかに赤くて、いかにも庶民的でほのぼのしている。対照的な美しさを持つ二体の観音さまを間近に拝めて、ほんとうに満ち足りた思いで、雨の高月町をあとにした。
6時頃、京都のホテルに荷物を置いて、夕食をとるために鴨川のほとりの中華料理店にはいった。大正時代に建てられた由緒ある建物で、エレベーターなども旧式で格式を感じさせる。しかし食べて飲んで、ひとり2千数百円は安かった。味も良かったので大満足である。
そこを出て、先斗町を散策した。北さんの思い出の店でコーヒーを飲もうと言うことになったが、あいにく店が変わっていたので、別も店に入った。そこでダッチ・コーヒーを飲んでいると、着飾った舞子さんが数人入ってきた。十一面観音さまもいいが、生身の美女も悪くはない。ラッキーな一日だった。
今日の午前中は、嵐山界隈の寺をめぐり、紅葉狩りを楽しんだ。まだ幾分紅葉の季節には早かったが、それでもところどころ紅葉している木を見つけて、季節の美しさを味わった。そして、昼食をすましたあと、広隆寺へ。
広隆寺の弥勒菩薩半伽思惟像は国宝第1号だけあって、ほれぼれする美しさだった。残念なことは、堂内が薄暗く、そのうえ拝観席から少し遠いので、せっかくの有名な微笑もはっきりとは見えない。ただ全体に凛としてしかも匂うような美しい気品を感じた。
広隆寺にはもう一体、国宝の弥勒菩薩半伽思惟像がある。俗に「泣き菩薩」といわれる小柄な仏像で、こちらの方が好きだという人もいる。しかし、やはり表情まではわからない。ただ全体に漂う美しさを少し離れたところから観照するだけである。もうすこし間近から拝みたかった。
車を運転してくれたのは、いつものことながら、徳さんである。京都を後にして、しばらくした頃、「このあたりが、蒲生野ですね」という。額田王と大海皇子の相聞歌で有名な地である。最後になって、ほんの少しだけ「万葉の旅」らしくなった。
昨日の朝日新聞の「きょういくTODAY」に、49歳の主婦の方が、「50歳からは新天地で」と題して、なかなか時宜を得た提案をしている。全文引用しておこう。
「50歳代に入ると小学生に真正面からかかわることは気力、体力から無理が来ると思う。私は49歳。小学生の子どもがいる。もう子どもと一緒の目線では動けない。教師は50歳を超えたら、行政の出向制度で地域センター、スポーツ教室などの活動にあたるようにしたらどうか」
もちろん50歳を過ぎても、教育者として情熱を失わずに、立派に活動している教師もいる。しかし、一般に50歳を過ぎて、なお子どもたちと同じ目線で動ける教師はそう多くはない。
したがってこうした出向制度は子どものためばかりではなく、教師にとってもありがたいのではないだろうか。ちなみに今かりにこうした出向制度があるとしたら、51歳の私はすぐにでも応募するだろう。
生徒の少子化が進むにともない、教師の高齢化が進んでいる。これが日本の教育から活力を奪う一因になっている。若くて生きのいい、そして体力、知力とも充実した教師が次々と補充されていれば、教育現場の雰囲気も随分かわるのではないかと思う。
さらにもう一言、本質的なことを付け加えよう。これまでは「何々一筋」という生き方が立派なことだと考えられてきた。しかし、本来は人生二毛作、三毛作が理想である。50歳あたりを節目にして、全く新しい生き方を選択するのも面白い。
一昨日、岐阜県の板取村まで行ってきた。天気は曇りがちだったが、時折日差しが差してきて、日差しに輝いた川浦渓谷の紅葉がすばらしかった。山道の落ち葉を踏みながら、妻と二人で平和な日本の秋を満喫した。
「緑とオアシスの森」というところによって、昼食をとった。山菜御飯と豚汁の定食は500円だったが、量がたっぷりあって満腹になった。途中の喫茶店で飲んだコーヒーと水もおいしかった。
豊かな自然の中に身を置いていると、心身がいやされる。この状態こそ人間の理想的な状態ではないかと思われる。いそがしい社会生活のあいまに、こうして自然に身を任せてみることも大切だろう。
私の場合は毎朝通勤途中に木曽川の堤に車を止めて、あたりの景色を眺めながらオカリナを吹くことにしている。もう、1年以上続いているが、こうした早朝の10分間を持つことで、心がリフレッシュされて活力が湧いてくる。
テニスなどスポーツで大切なのは「基本姿勢」である。相手の動きに的確に反応するためには、基本姿勢ができていなければならない。そして反応した後は、ふたたび基本姿勢にもどる。基本姿勢は基本的な構えで、これが出来ているとあらゆる状況に対応できる。
仏教では「諸法無我」や「無の境地」を説く。雑念や偏見に満たされていては、物事の正しい姿は見えてこないし、何が真実かということもわからない。基本的な構えが必要なのは、スポーツに限ったことではなく、人生もそうだろう。迷いが生じてきたら、「原点は何かにか」という問いに立ち返ることが必要だ。
基本姿勢とは、つまり心の原点だということもできる。原点を持たない人の心は、座標軸の中心がないので、外界の状況に流されて動いていくことになる。自己が確立されないまま回りの情勢に振り回され、受動的にしか生きられないことになる。
何かに囚われていると自然体で生きることが出来ずに、いつも緊張していて情緒が安定しないことになる。ものごとを公平に見ることが出来ないので行動や思考に偏りが出来て、対人関係でも仕事の上でも成果をあげられない。
生き方の原点を見出せば、それを足場にして、自分の人生に自信を持つことが出来る。人生や社会を公平に眺め、その本質を的確に掴んで対応が出来るので、あまりつまらない枝葉末節に煩わされないし、こせこせしないでおおらかに生きることが出来る。
私たちはともすると、こうした「生き方の原点」を持つことの大切さをわすれ、右往左往して心身を消耗させている。だからたまには都会を離れて自然のふところの中に身を置いてみることも必要だろう。人生に行き詰まりを感じたら、すべてをリセットして、生き方の原点に帰ることが大切だ。
自転車をマスターする秘訣は、最初はペダルを漕ぐことはしないで、ハンドル操作に専念することだという。ハンドル操作でバランスを取ることを覚えてから、ペダル漕ぐことを始めればよい。
ハンドルとペダルといった、お互いに異なった技術を同時にマスターしようとするから、それぞれの学習が干渉しあって、習得がむつかしくなる。これはなにも自転車乗りだけではなく、一般的に成り立つ学習理論である。
語学の学習の場合で言えば、「話すこと」と「書くこと」がこれにあてはまるだろう。母国語を習得する場合は、まず「話すこと」からはじめ、やがて「書くこと」に進む。これが自然な過程である。
ところが、私たちが学校で英語を習う場合は、「話すこと」と「書くこと」が同時進行である。これはつまり、ハンドルとペダルを同時に覚えようとしているのと同じで、効率の悪いやりかただと言わなければならない。
どうしてこんなことになるのかというと、学習の効果を「書くこと」によって測ろうとするからである。本来は「話すこと」が大切なのに、それではペーパーテストが出来ないので、どうしても「書くこと」中心の学習になる。
小学校では来年度から新指導要領の「総合的な学習の時間」が本格的に実施されるようになる。これにともない、多くの小学校で「英語の時間」が始まるようだ。とうぜん、ここでは「話す英語」が中心にならなければならない。
「小学生のわが子を英語好きにする本」(中経出版)の著者で東京外国語大学教授の田島信元さんは、「小学校英語は、英語を道具として位置づけている点と、教師が評価をしない点がポイント」と話す。
「幼い子供が言葉を覚え始める時は、間違っていても耳で入ったことを口に出し、繰り返し使うことで正しい言葉遣いを身に着けていく。英語も同じだ」と言う。
小学生の「英語の時間」に限らず、中学、高校の英語も本来はコミュニケーションが目的でなければならない。英語を勉強するのではなく、英語で様々なことを楽しむ経験が大切だ。小学校の英語が、「書くこと」に偏った中学や高校の「試験のための英語」の先取りであっては意味がない。
自転車と英語、実はこの両者はよく似ている。いずれも、私たちの生活に役立つ道具であり、また生活を楽しむための手段だと言うことだ。自転車についての専門的な知識を身につけても自転車が乗れるわけではない。同様に英語についていくら研究しても、英語が使えるわけではない。
昨日「英語の正しい学習法」という話をしたので、今日は本職の話をしよう。題して「数学の学習法」である。もっとも、私がここで言う数学は受験数学のことではない。だから、中学や高校の試験の成績をあげたり、大学に合格するためにどれだけ役にたつか、保証の限りではない。したがって、「正しい学習法」とは書かなかった。
ただ、私自身こうした学習法で、なんとか大学には合格できたし、その後大学院で理論物理学を研究しながら、数学が苦手だと感じたことはない。そして、今もこうして高校で数学を教えている。できれば今後「ガロアの理論」や「相対性理論」を研究して、「たのしい数学」といった入門書を書きたいという夢も持っている。そのくらい数学が好きになれたのだから、私自身は「正しい学習法」ではないかと思っている。
さて、私が実践してきた「数学の勉強法」だが、それはただ、「自分の頭で考える」という一事につきる。高校時代、私はあまり受験問題を解かなかった。そのかわり、私はイギリスの数学者で哲学者であるバートランド・ラッセルの「数理哲学序説」といった本を読んで、いろいろと自分の頭で考えた。
ラッセルの本は簡単にいえば「何故1+2=3が成り立つのか」ということを厳密に考察した本である。こうした本をいくら読んでも、計算力はつかない。だから私の高校時代の数学の成績はぱっとしなかった。ただ、ものごとを本質的に精密に考える習慣がやしなわれるから、大学へ入って、カルチャーショックに見舞われることはなかった。
高校の授業よりも、大学の授業の方がよくわかるのである。おかげで、高校の受験数学の発想から抜け出せない級友たちを尻目に、大学の最初の数学の試験で最高点をいただいた。「大学の数学とは何というありがたいものか」としみじみ思ったものだ。
数学には「公理」や「定理」があり、「証明」がある。しかしそれらを暗記することが「数学の勉強」ではない。私たちが数学を学ぶ目的は、あくまでも「物事を論理的に考える力」を養成することである。高校時代の私は、そんな理屈は知らないものの、知らず知らずに思考力を鍛えるために有効な学習法を実践していたようだ。
最近、生徒の計算力が落ちているという話を聞く。たとえば、「分数ができない大学生」という本を読むと、分数計算のできない大学生がかなりいることがわかる。しかし私は「大学生が分数計算などできなくてもよいのではないか」と思っている。
こまごまとした分数計算など実生活で役にたたないし、だいいち、こうしたことは、数学的能力とはあまり関係がない。分数や小数の面倒な計算問題で数学力をテストするのは無意味だろう。小学生の段階ではそれもいいが、少なくとも大学生の数学力をこうしたもので測るべきではない。
数学は数や図形といった単純で抽象的な素材を対象にする。そしてそうしたシンプルな素材を相手にして、いろいろとその性質や関係性を研究するなかで、「論理的思考力」を鍛える。そうして獲得された体系的な思考力は、数や図形といった抽象的な世界を離れて、はるかに複雑な現実世界を理解するときに、大いに真価を発揮する。
数学を単に数や図形の学問だと考えてはいけない。本当に有能な政治家や経営者や弁護士は、このことを知っている。だからリンカーンやガンジーやチャーチルの愛読書が「ユークリッドの原論」であったりしたわけだ。ギリシャ人の書いた数学の教科書が聖書につぐベストセラーであり続け、この2000年間、まっとうにものを考えようとする人にとっての必読書だったわけだ。
本当の数学力は、論理的に筋の通った文章が書けるかどうか、そして自分で独自に主題を構想する力があるかないかで測られる。だから、数学は言語力の一部とみなしたほうがよい。数学はもっとも根源的な言語力であり、したがってそれは文化的な社会を築くうえで、もっとも尊重されるべき教養だということができる。
もうひとつ自由で平和な社会を築くために本質的なことを書いておきたい。民主主義は自立した個人の意志によって支えられる。それではこの個人の「独立自尊」は何によって支えられるのだろうか。それは付和雷同することなく、何が真実であるか自分の頭で考えること、つまり「思考の自立」によってもたらされる。民主主義の原点が「自分自身の頭で考えること」にあるのだとすると、それは「数学が民主主義の原点」だということに他ならない。
先日、学校主宰の「国際理解講演会」で、日本在住で国際交流の仕事をしているパワーさんの講演を聴いた。彼はオーストリア生まれで、アメリカの高校、大学で学んだということで、海外の教育事情について、いろいろ話を聞くことが出来た。
夏休みが3ヶ月もあること、教科別の入学試験がないこと、学費が安くて、学生は自分でアルバイトをしたりして学費や生活費をまかなっていること。いずれも本で読んで知っていたので、ことさら耳新しいことではなかったが、実際聞いてみて、やはりうらやましいなと思った。
ほとんどの大学で教科別の入学試験がないので、もちろん塾などもない。したがってアメリカやオーストラリアの高校生は、日本の受験生のような詰め込みの勉強はしない。むしろアルバイトをしたり、ボランティア活動や旅行、そしてスポーツや男女交際など、他にすることがたくさんある。
日本の高校生が受験勉強に忙しいときに、彼らは青春を思い切り楽しみ、そしてまあ、単位を落とさない程度に、そこそこ勉強をする。とうぜん、平均的な学力はそれほど高いとは言えないだろう。
しかし、大学に進学した後は、かなり精力的に勉強するようだ。この点、大学に合格したとたん、学習意欲を失う一般的な日本の大学生とは対照的である。要は大学にはいる前に勉強するか、入ってからやるかという違いだが、さて、どちらが望ましいかということになると、軍配はあきらかだろう。
2005年度からセンター入試の方式がかわって、5教科7科目になるようである。これまで医学部の学生なのに、生物を選択しないで入学してきた学生がいたりして問題になっていた。こうしたことをなくすために、受験科目を増やして、受験生にさらに幅広い科目を履修させようというねらいのようだ。
今の学生は、受験に関係がない教科は勉強しないし、高校でも進学の実績をあげるために、受験に有利になるようにカリキュラムを組んでいる。したがって学力に偏りが出来て、大学生になってからの教育が大変である。こうした弊害をなくすために、受験科目を増やすしかないと教育科学省や大学関係者は考えたのだろう。
しかし、私はこれに反対である。その理由は、受験のための勉強をこれ以上生徒に強要すべきではないと考えるからだ。むしろ、アメリカやオーストラリアなど、他の先進国並に、入学試験の受験科目から一切の教科をなくすことを提案したい。国語と数学だけは全国統一の大学入試資格試験を受けさせるが、これも基本的問題にしぼって出題することにする。
そんなことをしたら、ますます生徒は勉強しなくなるという声があちこちから聞こえてきそうである。しかし、本当にそうであろうか。「受験科目でないと勉強しない」というのは現在の体制が作り出した現実ではないか。
学ぶことは本来楽しいものである。「強制されなければ勉強しない」と考えるのは、教師自身が受験体制の中で強制されて勉強してきたからだろう。そうした思いこみから私たちはもっと自由になる必要がある。
受験体制から解放されるのは、生徒ばかりではない。学校や教師もそうである。あたらしい体制のもとで、ほんとうに教育の名にあたいする創意と工夫に満ちた魅力的な営みが始まるのではないか。教育を蘇生させるためにも、受験中心の日本の教育体制を打破したいものだ。
数学者で京大教授の上野健爾さんの著書「誰が数学嫌いにしたのか」(日本評論社)に、教育者・林竹二(宮城教育大学学長)のことが書いてある。私はこの高名な教育者の著書をほとんど読んだことがない。孫引きになるが、林さんの「教育亡国」(ちくま学芸文庫)から、文章を少し引いておこう。
「私は今、学校は教育の場でなくなったと思っています。それは、学校教育というものが、テストを中心に回転するような体勢・制度になっていることが根本の原因だと思います。何故教師の側からこの体勢と戦いが生まれてこないのか不思議でなりません。これが、日本の学校が教育の場でなくなったということであり、そこで恐るべき環境破壊が行われてしまったということです」
「環境が根本から破壊されれば、人間も狂い死にもする。子どもの自殺はこの狂い死にです。だから非行とか暴力とかのレッテルを世間で貼る狂気の現象はすべて学校が点数信仰や学力万能の迷信による環境破壊を受けて、根底からの環境破壊が起きてしまった、そこからの当然の帰結なのです。このことに一番鈍感なのが、教育行政をはじめ学校教育の当事者です。日本の学校はとっくに教育の場であることをやめてしまっている。そこに非教育あるいは反教育がまかり通っている」
「教育亡国」が出版されたのが1983年で、林さんは二年後の1985年に亡くなっている。「教育亡国」を息をつかずに読んだ上野さんは、この書を林さんの深い思いをこめられた「遺書」ではないかという。そして「責任を持つものは責任をとらなければならない」という一言に、林竹二の生涯が言い尽くされているようだと言う。上野さんの「誰が数学嫌いにしたのか」から引用しておこう。
「私自身、高校の数学の先生とのかかわり合いからも、またあまりにお粗末な現行の学習指導要領ができるのを許してしまった一数学者としての責任からも、数学教育について発言する機会が次第に多くなってきた。その際常に頭に浮かんでくるのは、林竹二である。彼との不思議な出会いがなかったら、私も数学教育に関して、ただ知識をいかに伝えるかの問題に終始して、教育の根本問題に至ることはなかったであろうと思う」
「彼の苦闘の記録、それは子供たちの深いところにしまわれている魂を引き出し、その美しさに彼自身が魅せられて学んでいった記録に他ならない。・・・責任を果たすために戦うことは、また学ぶことでもある。教えることは学ぶことでもあるという自覚が多くの教師に生まれれば、この教育の荒廃を救う道が開けよう。林竹二の戦いは私たちに多くの勇気を与えてくれる。しかし、残された時間は少ない」
林竹二は「教育の根底にあるもの」の中で、「教育がなくて調教だけが教育の名においてまかり通っている。そして、もっと恐ろしいことは、教師たちがそのいいようもない無惨な荒廃に直面しながら、それを異常と感じていないことである」と書いている。異常を異常と感じること、私たち教師に求められているのは、こうしたまっとうな感性であり、自ら自身の荒廃と戦う勇気なのだろう。
筋肉には二種類あるそうだ。短距離走などに必要な瞬発力を生み出す筋肉と、マラソンなどに必要な持久力を生み出す筋肉である。だから、運動選手はそれぞれの競技種目に見合った筋肉トレーニングをしている。
私の場合は、昔から短距離走が苦手で、運動会で走ったりすると、いつもビリに近かった。反対に持久走はわりあい得意で、校内マラソン大会ではいつも上位に入っていた。マラソンが得意なのに、短距離走が苦手なのは、今から考えると、筋肉の違いによるのだろう。
筋肉力に二種類あるとしたら、思考力にも二種類あるのではないか。自然と連想がそちらに行く。たとえば即興の会話やディベートなどに必要な瞬発的な思考力と、論文や文学作品をじっくり読んだり書いたりするのに必要な持続的な思考力である。
芸人や話芸の達人は瞬発的な思考力が鍛えられているのだろう。いわゆる頭の回転が速く、機転が利くタイプである。これに対して、学者や宗教家などというのは、どちらかというと頭の回転はそれほど必要ではない。むしろ、じっくりと腰を落ち着けて物事を粘り強く熟慮する姿勢が大切である。
ここまで書いてきて、広隆寺や中宮寺の弥勒菩薩が浮かんできた。「弥勒」というのは「慈悲から生まれたもの」という意味だそうである。釈迦が入滅してから56億7千万年経てば、この弥勒菩薩が仏としてこの世に現れるという。未来に仏になるので、未来仏と呼ばれたりする。
広隆寺や中宮寺の弥勒菩薩は、半跏思惟の姿で、右手の指先を軽く頬に触れるようにして物静かに夢見るように何事かを思惟している。たぶんいかにして衆生を幸せにすべきか考えているのだろうが、何しろ56億7千万年先のことである。随分気の長い、悠久な思考である。こうした息の長い思考は桁外れの持久力がなければ無理だろう。
これらの半伽思惟像には東洋的な叡智の奥深さと明るさが感じられる。同じ思惟像でも、たとえばロダンの「考える人」などは随分印象が違う。こちらの方は全身筋肉の固まりである。そして今にも立ち上がって走り出しそうな強靱な行動力を感じさせる。西洋を代表する思惟像がたくましい筋肉質の男性なのに対して、東洋の思惟がむしろやさしく女性的な菩薩の姿で表現されているところが面白い。
日本人として、将来の世代に残したいものを3つ上げるとしたら、何だろう。こういう話を北さんやtenseiさんと交わしたことがある。かってこの日記帳にも書いたかも知れないが、改めて考えてみた。
まず、第一に大切にしたいもの、それは「日本の美しい自然」である。このことは先日、紅葉狩りに出かけて、自然のふところに身をおきながら、ますます痛感した。
私の尊敬する良寛さんの歌に、「かたみとて何か残さん春は花夏ほととぎす秋は紅葉葉」というのがある。人間のつくったもの、文化や文明も貴いが、しかし自然の大きな営みの前には色あせる。良寛さんの書や歌がいくらすばらしいと言っても、やはり自然の妙にはかなわない。芭蕉の言葉にもある。
「風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見るところ花にあらずといふことなし。思うところ、月にあらずといふことなし。かたち花にあらざるときは夷荻にひとし。心花にあらざるときは鳥獣に類す。夷荻を出、鳥獣を離れて、造化にしたがい、造化にかえれとなり」(笈の小文)
そもそも人間の存在そのものが、造化の賜である。いくら遺伝子工学が発達しても、人間そのものは作り出せないだろう。人間どころか、鳥獣や花の一本だって、その精妙さをまねるのはむつかしい。「野のユリを見よ」と、聖書にも書かれている通りである。
自然の中でも、とくに大切にしたいのは森林である。日本はフィンランドについで世界二位の森林被服率を誇っている。それは私たちの先祖が自然を崇拝し、これを大切に守ってきたからだろう。この豊かな自然を、そのまま後の世代に財産として残したいものである。
さて、残りの二つの宝はなにか。人によって議論が分かれるところだろうが、私は「万葉集」と「日本国憲法」をあげたい。なぜこれを選ぶのか、そのことについては、明日と、明後日の日記にそれぞれ書いてみたいと思う。
日本人として、将来の世代に残したいものの二番目に、「万葉集」をあげたい。1200年以上前に編纂されたこの歌集には、4500首をこえる大小の歌が収められている。天皇や貴族ばかりではない。そこには農民や防人、遊女に至るまで、すべての階層の人々の歌がそろっている。
このような詩歌集は世界でも例がないのではないだろうか。しかも、この歌集は単に古いだけではなく、その内容がこれまたすばらしい。万葉とは「よろずの言の葉」だというが、読んでいると本当に深々とした人生の森に踏み込んだような豊かな生命の息吹を感じる。
あしひきの 山のしづくに 君待つと
われ立ちぬれぬ 山のしづくに (巻2−107 大津皇子)
吾を待つと 君がぬれけむ あしひきの
山のしづくに ならましものを (巻2−108 石川郎女)
磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど
見すべき君が ありといはなくに (巻2−166 大来皇女)
私が万葉集に出会ったのは、いまから30年近く前の大学生の頃だった。下宿の寺で何げなくラジオを聴いていて、犬養孝さんの「万葉の人々」という番組を知った。そこで解説・朗読された万葉集の歌がすばらしかった。以後、30年間近く私はその魅力にとりつかれ、誰彼となく身近な人にその魅力を語ってきた。この日記帳にも、これまで何度も書いた。
私が万葉集に惹かれるのは、そこに時代を超えた「人の心の原点」があるからである。言うまでもなくそれは「人を愛する喜びと、愛する人と別れる悲しみ」に集約される。しかもそうした人間の営みが、大きな自然のふところのなかで美しく哀切に歌われている。
そうした人生の哀歓を、精一杯歌った古代の人々の心の声が、そのまま現代に生きる私たちの人生への応援歌になっている。決してうわすべりでない、ほんとうに心の芯まで温めてくれる、心の栄養剤であり、心の強壮剤でもある、このかけがえのない歌集は、未来の世代の人々の心にも、爽やかな人生讃歌の灯をともし続けることだろう。
かにかくに 人はいふとも 織りつがむ
我がはたものの 白麻衣 (巻7−1298)
(人はいろいろ噂するかもしれません。でも、私を思って
下さる人のために、まっ白で美しい麻衣を織り続けます)
人間は自然が好きである。自然の精妙な美しさには、誰しも心を惹かれる。そして、宇宙や自然に対する畏敬の念は、現代人の心の奥にも生きているに違いない。未来の世代に残したいものの第一に「自然」をあげることに、だれしも異存はないだろう。
しかし、そうした自然の中で生きる人間という存在の不思議さにも心を惹かれる。人間の内面世界にも、宇宙に勝るとも劣らぬ広大な神秘の領域があるのではないだろうか。私はそうした思いから、文学や哲学に親しむようになった。そして、万葉集こそ、私たち日本人の魂のふるさとだと思うようになった。
しかし、「自然」や「人間」の運命は、私たちが生きている「社会」のありかたに多く依存している。美しい自然を残し、人間の幸せをこの地上に実現するために、私たちは社会の在り方に目を向けなければならない。「自然」「人間」と並んで、「社会」もまた、大きな関心事とならないわけにはいかない。
先月、私は修学旅行の引率で長崎を訪れた。高校2年生の時、修学旅行で訪れて以来、30数年ぶりの長崎だった。30数年をへだてて、私の脳裏にはっきり残っている記憶がある。それは原爆資料館でみた、被爆者の遺品の数々である。
たとえば、頭蓋骨の骨片の癒着した鉄兜がある。高校生の私はその前に立ち、思わず息を呑んだ体験をしたが、51歳の私も、同じ思いで見つめた。どうしてこんなことが起こったのか。高校生の私の頭を襲った疑問が、ふたたび生々しく甦ってきた。
日本国憲法はアメリカによって与えられた憲法だという人がいる。たしかに、この憲法の草案を書いたのは若い理想主義に燃えるアメリカ人たちかもしれない。しかし、戦後の日本人はこの憲法をよろこんで受け入れた。
なぜなら、そこにはこれまで日本人が知らなかった「主権在民」や「平和主義」「基本的人権の保証」「世界貢献」という大切な精神が、瑞々しく漲っていたからである。そこにはフランス革命、アメリカの独立戦争をへて到達した人類の英知が結晶していた。
私たち日本人は、多くのものを世界から学んできた。稲作や製鉄技術、文字や仏教などの精神文化、古代の律令制などもことごとく模倣である。近代に至っては科学技術や哲学や文学、音楽など、ことごとく西洋の技術や文化の移植である。
日本国憲法もまたそうした外来文化の一種だと言えるかも知れない。しかし大切なことは、外来でない文化などこれまで日本に存在しなかったと言うことであり、文化というのは本来そうしたものだという認識であろう。与えられたものをどう生かしていくか、そしてその種を育てて、どんな美しい花を咲かせるか、日本人の独創性がためされるのは、これからだと思う。
この半世紀、日本は平和だった。もし「日本国憲法」がなかったら、この平和の維持はむつかしかっただろう。アメリカはたぶん日本を先兵として、朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争に使いたかったはずである。しかし、さいわい日本には「憲法」があった。
私は、憲法の条文について、必要なら改正してもよいと思う。しかし、憲法の精神は堅持していきたい。なぜなら日本国憲法こそ、世界の未来を開く大切な鍵だと思うからだ。私たちはこの鍵を手にしている。しかし、ただ手にしているだけではいけない。積極的に活用すべきであろう。
ドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」のなかに、「大審問官の話」がでてくる。一度読んだら忘れられないのは、ここに人間社会の恐ろしい真実がえぐり出されているからだろう。先ずはイヴァン・カラマーゾフの語る「大審問官の話」を紹介しておこう。この作中劇の舞台は、16世紀のセビリアということになっている。
大審問官は、町に現れたキリストとおぼしき人物を捕らえて、「人間という哀れな生物は、生まれ落ちるときから授かっている自由の賜を譲り渡すべき人を、少しも早く見つけねばならぬ。この心配ほど人間にとって苦しいものはない」と語りかける。
「われわれが素直に人間の無力を察して、やさしくその重荷を減らしてやり、いくじのない本性を思いやって、われわれの許しを得たうえなら、悪い行いすら大目に見ることにしたのは、はたして人類を愛したことにならぬだろうか?」
「われわれの仲間はおまえ(キリスト)ではなく、きやつ(悪魔)なのだ。これが我々の秘密なのだ。われわれはもうずっと前から、もう八百年の間おまえを捨てて、きやつといっしょになっているのだ。・・・われわれはきやつの手からローマとケーザルの剣を受け取って、われわれのみが地上における唯一の王者だと宣言した」
「全世界とケーザルの緋袍を取ってこそ、はじめて世界的王国を建設して、世界的平和を定めることが出来るのだ。なぜというに、人間の良心を支配し、かつそのパンをもろ手に握っている者でなくて、だれに人間を支配することができよう」
「羊の群をばらばらにして、案内も知らぬ道に別れ別れに追い散らしたのはだれだ。しかし、羊の群もまた再び集められて、こんどこそ永久におとなしくなるであろう。・・・我々は彼らに向かって、おまえたちはいくじのないもので、ほんの哀れな子ども同然だ、そして子どもの幸福ほど甘いものはない、と言ってやる」
「われわれはいっさいを解決してやる。この解決を彼らは喜んで信用するに違いない。なぜと言うに、これによって大きな心配からのがれることもできるし、今のように自分自身で自由に解決するという、恐ろしい苦痛もまぬがれることができるからだ」
「こうして、すべての者は、幾百万というすべての人間は幸福になるであろう。しかし、彼らを統率する幾十万かの者は、それから除外されるのだ。つまり、秘密を保持しているわれわればかりは、不幸に陥らねばならないのだ」
「わしがちょっと手を振ってみせると、われさきにとおまえを焼くべき薪の下に、真っ赤な炭をくべようと殺到するだろう。それは、つまり、おまえがわれわれの邪魔をしに来たからだ。じっさい、もしだれか一番われわれの火刑に価するものがあるとすれば、それは正しくお前なのだ」
大審問官は、この世の中は「何億かの幸福な幼児」である大多数の人間と、「善悪知識の呪いを背負うた大受難者」である一部の選良から出来ていると語る。選良は永遠の天国の報いなどどこにもないとをよく知り抜いている。しかし善知識であるところの彼等は、「この秘密を守って、幼子達の幸福のために、永遠の天国の報いを持って彼等を釣って」行かなければならない。
作中のキリストは、この大審問官の言葉に、何と答えるだろう。読み進んできた読者は思わず息を呑んで、その先を読もうとするだろう。しかしその結末は、いささかあっけないものだ。
作中のキリストはただ黙って大審問官を抱き寄せ、老人の「九十年の星霜をへた血の気のない唇に静かに接吻」する。老人はぎくりとするが、平静を装って彼を闇の巷に解き放つ。それから「かの接吻」は大審問官の胸に燃え続けるが、しかし彼はあえて従来の主張を変えようとはしない。
この部分を読んだひとは、自分がいわゆる「何億かの幸福な幼児」になる訳がないと思うかもしれない。しかし、事態は大審問官の時代からさらに悪化してるのではないだろうか。私たちは科学技術全盛の時代にあってむしろ「幼子の幸福」に安住することにますます不感症になりつつあるように思われるからだ。
あくなき消費活動やブランド信仰、物質的享楽のなかに、体勢に順応し付和雷同する「精神の安楽死」志向を容易に見て取ることが出来よう。 「独立自尊」などと、簡単に言ってみても、何事も自分で独自に考え、判断し、決断するということは大変なことである。
私たちは大審問官がいうように、自由の賜を譲り渡すべき対象を一刻も早く見つけて、自己責任の重圧から逃れようとする。そしてそれが宗教であったり、会社での奴隷労働だったり、もしくは地位や名誉や富や権力であったりするわけだ。
戦前の日本人はまさしく天皇制のなかで精神の隷属状態におかれ、自ら考えることを停止して、「精神の安楽」を謳歌していた。大本営発表の嘘八百を、多くの国民は歓呼して迎えたのである。戦後の日本でも、私たちの多くは自由の重荷を逃れ、真実を直視する勇気を持たず、ただただ安楽に走り、与えられた幻想のなかで、「幸福な幼児」のごとく保護されていたいと願望している。
あるいは「国民主権」を標榜する民主主義でさえも、代議制度のもとでは、「自由なき安楽主義」に容易に傾く。私たちはこうした大量に安楽死した精神がもたらす将来の危機に対して、もう少し鋭敏にならなければならない。困ったことにドストエフスキーの「大審問官の話」は、現代にあってますます不気味に魅力的である。
(参考文献) 「カラマーゾフの兄弟」 米川正夫訳 河出書房新社
昨日の朝日新聞に、いまは北京に住んでいるモンゴルの詩人・ボヤンヒングの「わたしはモンゴル人」という著書が紹介されていた。この本をボヤンヒングは日本語で書いているようだ。
「ひとりの外国人が日本語で書いた文章をよむ。それがいい文章だと、内向きの日本語の壁がパッと取り払われたような解放感がただよう」と、津野海太郎さんが紹介している。
「僕はモンゴル人として生まれたことは悪くないと思うが、しかし別に過剰な誇りなどまったく持っていない。そうする理由もないのだ。僕はいつも個人単位で生きている。・・・個人は世界の中では小さいが、個人の世界はそれほど小さくない」
モンゴルの人には閉所恐怖症が多いと聞いた。彼らは大草原で自由に暮らしている。大空の下の大地がすべて彼らの家である。だから、死んでからも狭い棺に入れられて土葬されるのをきらうのだろう。風葬が行われているのもむべなるかなである。
それにしても、「個人は世界の中では小さいが、個人の世界はそれほど小さくない」という言葉はなかなかよい。カントは「天上界の星星の法則と、わが内なる道徳律」に無限の価値を見た。そして、私的な存在である国家よりも、公的な存在である個人を神聖だと考えた。
そもそも人間存在を霊的なものと考え、魂のうちに永遠なものを発見したのは、ソクラテスだろう。パスカルによれば、人間は考える葦である。宇宙の中では取るに足りない粟粒でしかないが、しかし、私たちは宇宙をも思考する広大な世界を心の中に持っている。
「個人の世界は遙かに広大で、深遠である」 と私ならこう書きたくなるところを、「個人の世界はそれほど小さくない」と書くあたり、ボヤンヒングはやはりほんとうの詩人で、いかにも奥行きがあって、心憎いという感じがする。彼はきっと、心の中にはるばるとした大地を持っているのだろう。いや、彼という存在が、大地そのものなのかもしれない。
大江健三郎氏がニュースステーションに登場して、「開かれた個」について語ったということを、北さんが教えてくれた。私は番組を見ていないから、大江さんがこの言葉で何を語ったのか知らない。だから以下に述べることは、まったくの私見である。
私が「開かれた個」という言葉を聞いて考えたことは、個というものは「独自性」と「普遍性」という二つの側面を持つのではないかということだ。これまで「個性」と言えば「独自性」に中心を置いて考えられてきた。しかし、「普遍性」の側面も大切ではないか。
例えば「文章」の場合で考えてみよう。個性的な文章というのは、その人独自のスタイルや内容をもつ文章をいうのだろう。しかし文章である以上、それは既定のルールに従った社会的普遍性を持っていなければならない。そしてこの普遍性や共同性があるから、文章は文章として流通し、他者に理解可能なものとなる。「普遍性」を砥石にして、「独自性」が磨かれ、文章の個性が深められる。
つまり、普遍性によって独自な個は社会的に開かれた存在となる。同時に、社会的に開かれることによって、個は本当の意味で豊かな独自性を獲得する。なぜなら、独自性と言っても、それは他者との相克や交流の中で確立するものだからだ。
普遍性や共同性から背を向けた個は独善的で閉鎖的になりがちだ。しかしまた、独自性を失い、普遍性に順応しすぎてもいけない。そこに生じるのは個の摩滅であり、個の崩壊であろう。「独自でありかつ普遍的であること」が個が個として生き生きと存在するために必要な要件ということになりそうだ。
「開かれた個」というのは、こうした「独自性」と「普遍性」という二つの矛盾する原理を己の中に持って創造・発展する個であるということができる。そしてもう一つ付け加えれば、そうした創造的な発展は外へと同時に、内部にも向かっているということだ。つまり、社会へと開かれた個は、同時に自己に対しても開かれた個となる。
以上述べた、「開かれた個」についての考え方は、文明と文化の問題を考えるときも参考になるのではないか。国の文化や伝統を考えるとき、それがゆたかに育つ条件として、「独自性」と「普遍性」の矛盾・相克が問題になろう。そこでは自らに対して開かれることと、世界に対して開かれることが必要となる。
「独自性」と「普遍性」の矛盾・相克を自己の問題として生きることで、個人も社会も創造的かつ生産的になり、多様な豊かさを獲得する。「開かれた個」があって、「開かれた社会」がある。これからの日本人に求められるのは、こうした自己創造の原理に基づいて、「自己を社会や世界に開かれた存在にする」努力だと思われる。
プラトンは、「考えるということは、心の中で、もうひとりの自分と、声を出さない対話をすること」だと書いている。つまり、考えるということは、自分の中にもうひとりの自分を作り出し、彼の言葉に耳を傾けることである。
したがって、「考える」ためにはある程度自己を相対化し、対象化することができないなければならない。自己の中にさまざまな意見を持つ他者をかかえこみ、そうした他者の存在を許容する自由で寛容な空間を持たなければならない。
自分の内部にこうした「対話の空間」をもてるかどうか、これはかなり重要なことだと思う。なぜならそうした心の培地がなければ、実りあるゆたかな対話が成り立たないからだ。それはとりもなおさず、彼の人生を偏狭で淋しいものにする。
プラトンは「自己とはもうひとりの友」だと考えていたが、アリストテレスは「ニコマコス倫理学」のなかで、「友は第二の自己である」と書いている。これは道元禅師の「他己」(他人はもう一人の自分)という言葉に近い。自己は他者であり、他者は自己であるという世界こそ、洋の東西を問わず、賢者たちが理想とした世界だった。
自己の中に多くの他者を住まわせることで、自己内対話もまた豊かで、創造的なものになる。そして自己を相手に豊かな対話をなし得る者が、より深く考えることができる者であり、他者との対話を通して、自己の人生をより意義深いものにできるのだろう。