ロスチャイルド家の興隆

   ∇発祥の地フランクフルト

 時はフランス革命前1860年代、ところはフランクフルト。
詩人ゲーテが「城壁と溝の間に」と言った光景にふさわしい、高々3.5メートルの路地にひしめくゲットーにひとつの金融業者が誕生する。
マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド、後年王朝の初代と目される人物の店がそれである。

 ここ、フランクフルトの領主はヘッセン・カッセル伯ヴィルヘルム9世といい、周辺のドイツ諸侯国に負けず劣らず傭兵取引に精を出していた人物である。臣民の血の上に築かれた財を、彼は諸侯に貸付、ヨーロッパ第一の金持ちと言われるほどになっていた。

 このヨーロッパ第一の金持ち君主としがないユダヤ商人を結びつけたのは古銭であった。当時、マイヤーは貴族や諸侯の趣味のひとつであった古銭を商っており、ヴィルヘルム9世はまさに得意先であった。
ヴィルヘルムとロスチャイルドとの取引は古銭に始まったが、ロスチャイルド家は徐々にヴィルヘルム9世の財産管理業務に食い込むことに成功する。そして、ロスチャイルド家が飛躍するのは、ときあたかもフランス革命、ヨーロッパに激震が走った時代であった。

   ∇ナポレオンとロスチャイルド

 ロスチャイルド商会は金満君主ヴィルヘルム9世の金融業務に食い込むことで徐々に大きく成長していた。
が、時代は同家のビジネスをいともたやすく根底から覆しかねない状況であった。
1806年、ナポレオンのフランス軍がフランクフルトを占領し、ヴィルヘルム9世を追放する。
マイヤーはヴィルヘルム伯に管財人に指名され、デンマークに隠棲を余儀なくされる伯の莫大な財産を管理することになった。
が、同時に伯が国外に追放されたということは君主の特別な保護を期待できないという点では庶民と同じであり、加えて時の支配者ナポレオンに敵するということであり極めて危険な状態にさらされていた。

 ヴィルヘルム伯の財産を狙っていたナポレオンはヴィルヘルム伯の資産及び債権はフランス政府のものであると公示し、ロスチャイルド商会を捜索したが、ロスチャイルドは巧みな二重帳簿でフランス政府の目をかいくぐりヴィルヘルム伯の債権の徴収を見事にこなしていった。

 大陸封鎖令が発布されると、植民地からの物資が払底したヨーロッパ大陸にコーヒー、綿製品、煙草、砂糖などを密輸し莫大な利益をあげる。

 ロスチャイルド家が他の商人と異なったのは迅速で信用のおける飛脚や暗号を織り交ぜた手紙という独自の情報ネットワークを有していたことによる。また、ナポレオンの第一帝政の時代には、マイヤーの息子達のうち三男ネイサンのロンドン、五男のジェームズのパリ、本家のフランクフルトと店をかまえ相互に協力し合えたことも強みのひとつであった。

   ∇100万ポンドの伝説

 その強みが最大限にいかされたのがワーテルローの戦いである。
ナポレオンが勝利すればイギリス国債は紙切れ同然となると目され、イギリス中が戦いの動向を凝視していた。
1816年6月ウェリントンの勝利を伝えるロスチャイルド家の飛脚がロンドンにいるネイサン・ロスチャイルドにいち早く結果を伝える。すると、ネイサンは何を思ったか逆にイギリス国債を大量に売りにはいったのである。
ワーテルローの前のキャトルブラの戦いでイギリスが負けていたため、公債価格はすでに下落していたのだが、ネイサンの「売り」は公債の下落に拍車をかけることとなった。
市場関係者は誰もがネイサンは「ウェリントンが負けた」のを知っていると思いネイサンの「売り」に追随し、公債は大暴落した。
そして、他の人に「ウェリントンが勝った」という情報が伝わる前に、急遽大量の「買い」にはいったのである。この日だけで、ネイサン・ロスチャイルドは100万ポンド稼いだという伝説を作り上げる。

 フランス革命の嵐が吹き止み、反動のウィーン体制の時期に入るころにはロスチャイルドは並ぶものなき大富豪にのしあがり、フランクフルト、ウィーン、ロンドン、フランス、ナポリの五極体制を構築する。




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