| 「孔子」の父母 |
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孔子は、若くして父母と死に別れていますので「論語」のなかでも自らが 父母を語ったところは一章もないようです。 「史記」(孔子世家)によれば、 孔子の父の名は「叔梁こつ」(しゅくりょうこつ)<注>こつ:糸へんに乞と書く。 という人物で「叔梁」が字、「こつ」が名で「孔こつ」と言う士人でした。 また母の名は「顔徴在」(がんちょうざい)と記されております。 ところが、続いて「史記」には、 『孔こつ、顔氏の女(むすめ)と野合して孔子を生む。』と、孔子が「野合の子」であるという、驚くような記述が現れます。 野合の子というのは、正規の結婚なくして生まれた子供ということで父と 顔家の娘さんとの結婚はまわりの人が認めない関係だったのです。 父「孔かつ」はその子、孔子が三歳のころに世を去っていますので、孔子 の母は、孔家から嫁として認知されないまま、幼い孔子をつれて曲阜城内の 闕里(けつり)という場末の街外れの土地で母子家庭の暮らしを始めたとさ れています。 |