「論語」と「日本人の美徳」について

  ところで「論語」が日本に伝えられたのは、何時頃だったのでしょうか?
 日本書紀によれば、応神天皇の十六年(西暦285年)に、百済の王仁が来
 日し、「論語」十巻と「千字文」を朝廷に献上したとあります。

  推古天皇の十二年(西暦604年)に、聖徳太子が「十七条の憲法」を制
 定し、その第一条にある「和を以って貴しと為す」の有名な言葉は「論語」
 学而編にある「禮之用和爲貴(礼の用は和を貴しと為す)」を参考にしたも
 のといわれています。
  当時の王侯貴族はかなり「論語」を精読していたことがこれでよくわかり
 ます。

  その後・・・・・
◆「奈良・平安時代」に入ると皇族、貴族、僧侶を前に、文章(もん
 じょう)が「論語」の講義をしたことが、記録に残っていますし、
 この頃、すでに中国にならって、宮中では孔子を祀る「釈奠(せき
 てん)」が行われていたといいます。

◆「鎌倉」から「戦国時代」の武家政治になると、「論語」は「孫子
 の兵法」などとともに武将や僧侶たちの愛読書になりました。

◆「江戸時代」に入ると「論語」は、さらに普及し徳川家康は治世の
 要として学問を奨励する一方、自らも京都から林羅山などの学者を
 招き、中国の古典「四書五経」(四書:論語・大学・中庸・孟子、
 五経:易経・書経・詩経・春秋・礼記)を学んだといいます。

◆五代将軍綱吉は幕府の学問所「昌平黌」(現在の東京大学)を設立
 し、また全国の各藩に命じて藩校をつくらせて、武士に勉学の道を
 講じさせ、その上、百姓・町民などの教育としては、各藩に寺子屋
 を作らせました。寺子屋の数は、全国で一万五千余もあったという
 から驚きです。江戸時代の国民の識字率は、おそらく世界一だった
 ろうといわれ、これが江戸文化の華を咲かせたに違いありません。

◆この時代の教科書といえば藩校では「四書五経」、寺子屋では「手
 習い」(習字)と「論語」だったと言われます。
 子供達が「子曰く・・・」と声を張り上げている、のどかな江戸の
 様子が目に浮かんできます。
「子曰く・・・」
・朋あり、遠方より来る、また楽しからずや。
・義を見てせざるは、勇なきなり。
・過てば即ち改むるに憚ることなかれ。
・故きを温ねて新しきを知る。
・巧言令色、鮮なし仁。
・一を聞いて十を知る。
・己の欲せざる所は、人に施すことなかれ。
◆そして「明治維新」から「昭和の終戦」に至るまで「論語」は「人
 生の指針」として、また「生活の規範」として生き続けてきたので
 した。
  「論語」の内容は、決して学術専門書のようなものではなく、孔子が毎日
 弟子と話し合うレベルで平易に書かれています。「落語」で横丁の隠居が、
 熊さん、八ッつぁんに話して聞かせるような気安さが感じられます。それで
 なければ江戸時代、あれだけ「論語」の名言が庶民の間に普及するばずがな
 かったことでしょう。

  ところが、この「論語」で培われた日本人の美徳が、終戦後すっかり姿を
 消してしまいました。人間として大切な「人間愛」とか「社会規範」なるも
 のがどこかへ行ってしまったのです。

  新世紀を生きる皆さん『温故知新』で日本の美徳をとり戻しましょう。


戻る
Produced
近所のご隠居さんグループ