「義(ぎ)」 と は 何 か ?       今泉正顕 著 「論語に親しむ」より・・・

  一般に「義」と言っても義のつく言葉は非常に多い。
  正義、信義、仁義、恩義、大義、忠義、道義、徳義・・・まだまだある。

  しかし「論語」の中で言う義とは「人の踏み行う正しい道筋」の事と理解
 すればよいのではないでしょうか。
  それが守れないと「不義」「不義理」など「不」がついてしまいます。
  例えば、男女関係でも人の道を踏み外すと、戦前までは「不義密通」と呼
 ばれ、さらに、江戸時代にいたっては、これが発覚すると打ち首の刑に処せ
 られました。よくテレビの時代劇でお目に掛かる話題そのものであります。
  ところが最近では「不倫」という程度であまり問題にされなくなったのは
 やはり道義が廃れたせいなのでしょうか。ここでは「論語」の中にあるその
 「義」について紐解いていきましょう。
     
◆ 義を見てせざるは、勇なきなり。            [為政第二]
  原文の意味・解釈

   あまりにも有名な言葉なので、解釈はいらないでしょう。

   原典では、この言葉の前に「その鬼にあらず、これを祭るは諂うなり」が入っている。
   この時代の中国では人の吉凶禍福は、鬼神が司るものだと思われておりましたが、孔子
   は違っておりました。孔子は祖先の霊は信じ、大自然の神秘の力は、神として崇敬して
   いたが迷信、邪教のたぐいは徹底的に排除しました。

   「そんなことをすると鬼にたたられる。」などと言って正しい事が行われないようでは
   世の中はいつまでたっても良くならない。そんな事におびえる必要はない。もっと正義
   を貫く勇気を持てと激励した。

    <ウィンストン・チャーチル(英国の名宰相)の言>
    「金や名誉を失うことは小さなことだ。しかし、勇気を失えばすべてを失う。」

◆ 君子は義を以って上と為す。勇ありて義なきは乱を為す。
  小人、勇ありて義なきは盗みを為す。         [陽貨第十七]
  原文の意味・解釈

   この章の全文{陽貨(ようか)第十七第二十三章}は次の通りです。

    子路曰、君子尚勇乎、
    子曰、
    君子義以爲上、
    君子有勇而無義爲亂、
    小人有勇而無義爲盗。

     子路が曰わく、君子勇を尚(とうと)ぶか。
     子、曰(のたま)わく、
     君子義以って上(かみ)と爲す。
     君子勇有りて義なければ亂(らん)を爲す。
     小人勇有りて義なければ盗を爲す。

   これは、門弟「子路」との問答である。
   「君子(教養のある立派な人格者)は勇を尚ぶでしょうか。」
   孔子は答えた。「もちろん君子は勇を大切に考えている。だが、勇気を奮う前に義
   を考え、それが正しいと思ってから行動に移す。勇気だけ重んじて義をないがしろ
   にするとみんなが勝手に行動し、時によっては内乱を起こしかねない。」
   「小人と言われる教養のない粗雑な人間は、勇敢なことをいいことに義を考えずに
   勝手に振舞うから、やがて乱暴狼藉に陥り、最後は盗みまで働くようになる。」

    <太平洋戦争の傷跡>
    古今東西の戦争の歴史を見ると、勇敢に戦った将兵達が、占領した土地の民衆に
    何をしたか。義を重んじ、軍律厳しい指導者がいた部隊はなんら乱暴狼藉をしな
    かったが、小人と言われる指導者のもとでは、略奪、強姦などしたい放題のこと
    が、まかり通ったようだ。

◆ 君子は義に喩り、小人は利に喩る。           [里仁第四]
  原文の意味・解釈

   「喩(さと)る」とは、よく知っていること。

   君子(教養のある立派な人格者)は、利益になると知っていても、その前に道義的
   にどうかと道理を考える。小人(欲の皮のつっ張った三流の人物)は、利益と聞い
   ただけで、儲けのために前後を考えずに、すべてに手を出す。

    <二十世紀末の日本のあり様>
   バブルの崩壊で、政界、官界、経済界、の一流の人物が贈収賄の汚職事件や会社倒
   産の背任の罪で検挙され、晩節を汚したことは、まだ記憶に新しい。
   これら悪人の座右の銘が「君子は義に喩り、小人は利に喩る。」なんてことはなか
   ったでしょうね。

◆ 不義にして富み、且つ貴きは
  我に於いて、浮雲の如し。               [述而第七]
  原文の意味・解釈

   この文言が含まれる全文{述而(じゅつじ)第七第十五章}は次の通りです。

    子曰、
    飯疏食飮水、曲肱而枕之、樂亦在其中矣、
    不義而富且貴、於我如浮雲。

     子、曰(のたま)わく、
     疏食(そし)を飯(く)らい水を飮み、肱(ひじ)を曲まげてこれを枕とす。
     樂しみ亦た其の中(うち)に在り。
     不義にして富み且つ貴きは、我れに於いて浮雲(ふうん)の如し。

   先生が言われた「粗末な飯をたべて水を飲み、うでを曲げてそれを枕にする。
   楽しみは、やはりそこにも自然にあるものだ。道ならぬことで金持ちになり身分が
   高くなるのは、わたくしにとっては浮き雲のように、はかなく無縁のものだ。

    <カーネギーの言>
   「世の中の人は、誰でもが幸福になりたいと思っている。それを手に入れる方法が
   一つある。それは自分の気持ちの持ち方を変えることだ。」

   「狭いながらも楽しい我が家」が一番の幸福。それを成すのは、父親のあり様か?

◆ 言、義に及ばず、好みて小恵を行う、難いかな。
                           [衛靈公第十五]
  原文の意味・解釈

   この原典{衛靈公(えいれいこう)第十五第十七章}は次の通りです。

    子曰、
    羣居終日、言不及義、好行小慧、難矣哉。

     子、曰(のたま)わく、
     羣居(ぐんきょ)して終日、言、義に及ばず、
     好んで小慧(しょうけい)を行なう。
     難(かた)いかな。

   先生が言われた。「一日中大勢で集まっていて、話が道義のことには及ばず、
   好んで小才だけひけらかす集まりは閉口する、なんと愚かで時間の無駄だろう。

    <とある企業の会議風景>
   「どうあることが正しいのか?」「筋道としてこの決定は間違っていないか?」と
   いった道義的、本質的論議を交わす声は聞こえず。ただ、利巧ぶって自説を得意に
   なってひけらかす者、利害にこだわった発言や、あるいは人気取りに終始する者。
   人によっては感情的になって個人攻撃をする者などなど・・・
   これは、貴方の会社の様子ではないですよネ。

◆ あとがき
   明治時代の財界の大御所であった渋沢栄一。彼が設立にかかわった銀行、ガス、電
   気などの株式会社の数は六百を超え、商工会議所など公共団体を創立したのが五百
   余といわれる。しかし、彼は、三井、三菱、住友、安田、のような財閥をつくらな
   かった。私益より公益を優先させたからであろう。
   彼の九十二年の生涯は、まさに日本の資本主義のために捧げられたと言えよう。
   その彼が信条としていた言葉「算盤の上に論語を置く」は、今の世の経営者にも欲
   しい信条と言えよう。


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近所のご隠居さんグループ