「礼(れい)」 と は 何 か ?      今泉正顕 著 「論語に親しむ」より・・・

  小中学校のときに・・・
  先生が教室に入ってくると、級長が「起立、礼、着席」と号令をかけた。
 この時の「礼」とは何であったのか?また、先生からよく「親しき仲にも礼
 儀あり」と教えられたことを今でもよく覚えているのは私だけでしょうか。

  孔子は「庭訓(ていくん)」として「礼」を教えたと言われています。
  孔子は、自分の長男の「伯魚(はくぎょ):実名は鯉(り)」を教育する
 ときは必ず庭先でおこなっていました。みなさんも映画の時代劇などでこの
 ような情景を見た記憶がおありでしょう。
  では「庭訓」とは、どのようなものだったのでしょう。
 伯魚の告白によれば、直接の父である孔子から教えを受けたのは、庭先で会
 って「詩(学問)の勉強」と「礼の勉強」をすすめられた。この二つだけだ
 ったと言っている。「庭先での教え」さしずめ現在ならば家庭で親が子に教
 える「躾教育」と言ったところでしょうか。
     
◆ 礼を学ばざれば、以って立つことなし。        [季子第十六]
  礼を知らざれば、以って立つことなし。        [尭曰第二十]
  原文の意味・解釈

   孔子は長男の伯魚に、庭先で「礼」を学ぶことを強くすすめた。「礼」を知らないと、
   人格形成が出来ず、人間関係がうまくいかないからだ。
   また、孔子は「礼儀作法」を重んじた。「礼」を知らない「無礼者」になるなと。

   「礼」とは「礼儀作法」のことだ。
   今流に言うと「礼儀」は「マナー」と「エチケット」。「作法」は「ルール」と言った
   ところでしょうか。

◆ 礼に非れば視ること勿れ、礼に非れば聴くこと勿れ、
  礼に非れば言うこと勿れ、礼に非れば動くこと勿れ。  [顔淵第十二]
  原文の意味・解釈

   門弟の「顔淵(がんえん)」が「仁」について尋ねたとき、孔子は「礼」のことに
   ふれ「克己復礼(こつきふくれい)」が出来るものが仁者といえる、と答えた。
   つまり、我欲などの私心に打ち勝ち、人間生活の規範である「礼儀作法」を忠実に
   身につけている者なら仁者といってもよいだろう・・・という意味だ。だが、顔淵
   は「復礼」の意味がよくわからなかった。そこで、「先生もう少し具体的に教えて
   下さい。」と頼んだ。

     礼に非(あらざ)れば視ること勿(なか)れ、
       ・・・礼にかなっていなければ、それを見ようとするな。
     礼に非(あらざ)れば聴くこと勿(なか)れ、
       ・・・礼にかなっていなければ、そんなものに耳を貸すな。
     礼に非(あらざ)れば言うこと勿(なか)れ、
       ・・・礼にかなっていなければ、そんなことに口を出すな。
     礼に非(あらざ)れば動くこと勿(なか)れ。
       ・・・礼にかなっていなければ、そんなことで行動するな。

◆ 恭にして礼なければ、則ち労す、
  慎にして礼なければ、則ち(し)す、
  勇にして礼なければ、則ち乱す、
  直にして礼なければ、則ち絞す。            [泰伯第八]
  原文の意味・解釈

   (し)は、草冠に思うと書く。

   一方で、礼なければ(礼儀作法を失すると)次のようなこととなってしまいます。

     恭にして礼なければ、則ち労す、
       ・・・いくら敬う心があっても、ただ馬鹿丁寧さだけでは
          「骨折り損のくたびれ儲け」で終わってしまう。
     慎にして礼なければ、則ち(し)す、
       ・・・いくら慎重に行動しても、それで礼を尽くしたことに
          なるかといえば、決してそうではない。
          相手にはいじけているか、愚図だと思われてしまう。
     勇にして礼なければ、則ち乱す、
       ・・・勇敢なことはいいことだが、礼節を心得ずに、
          ただ勇敢にふるまえば、それは単に「乱暴」としか
          見られない。損なことだ。
     直にして礼なければ、則ち絞す。
       ・・・正直で生真面目だと言っても、礼儀作法を知らなければ
          とかく紋切り型の冷たい人間と誤解されてしまうだろう。

◆ 未だ貧しくして道を楽しみ、
  富んで礼を好む者に若かざるなり。           [学而第一]
  原文の意味・解釈

   この文言が含まれる全文{学而(がくじ)第一第十五章}を見てみましょう。

    子貢曰、
    貧而無諂、富而無驕、何如、
    子曰、可也、
    未若貧而樂道、富而好禮者也、
    子貢曰、詩云、
    如切如磋、如琢如磨、其斯之謂與、
    子曰、賜也、
    始可與言詩巳矣、
    告諸往而知來者也。

     子貢が曰わく、
     貧しくて諂(へつら)うことなく、
     富みて驕(おご)ること無きは、何如(いかん)。
     子、曰わく、可(か)なり。
     未(いま)だ貧しくして道を樂しみ、富みて禮を好む者には、
     若(し)かざるなり。
     子貢が曰わく、詩に云(い)う、
     切(せつ)するが如く磋(さ)するが如く、
     琢(たく)するが如く磨(ま)するが如しとは、其れ斯(こ)れを謂うか。
     子、曰わく、賜(し)や、
     始めて與(とも)に詩を言うべきのみ。
     諸(こ)れに往(おう)を告げて來(らい)を知る者なり。

   子貢がいった。「貧乏であってもへつらわず、金持ちであっても威張らないという
   のは、いかがでしょうか。」
   先生は答えられた。「よろしい。だが、貧乏であっても道義を楽しみ、金持ちであ
   っても礼儀を好むというのには及ばない。」
   子貢がいった。「詩経に『切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが
   如く』と、いやがうえにも立派にすることをうたっているのは、ちょうどこのこと
   でしょうね。」
   先生は言われた。「賜よ、それでこそ一緒に詩の話ができるね。前のことを話して
   聞かせるとまだ話さない後のことまで分かるのだから。」

    <注>「賜(し)」は子貢の名。

    <ひと言>
   切は骨、磋は象牙、琢は玉、磨は石、をみがくことで「切磋琢磨」は、学問修養に
   励む意味になった。

◆ 礼の用は和を以って貴しとなす。            [学而第一]
  原文の意味・解釈

   この文言についても原典{学而(がくじ)第一第十二章}を見てみましょう。

    有子曰、
    禮之用和爲貴、先王之道斯爲美、
    小大由之、有所不行、
    知和而和、不以禮節之、亦不可行也。

     有子(ゆうし)が曰わく、
     禮の用は和を貴しと爲す。先王の道も斯(こ)れを美と爲す。
     小大これに由(よ)るも、行なわれざる所あり。
     和を知りて和すれども、禮を以ってこれを節せざれば、
     亦(ま)た行なわるべからず。

   有子が言われた。「礼のはたらきとしては調和が貴いのである。むかしの聖王の
   道もそれでこそ立派であった。しかし小事も大事も調和に依りながらうまくいか
   ないこともある。調和を知って調和していても、礼でそこに折りめをつけるので
   なければ、やはりうまくいかないものだ。」

    <注>ここで言う「礼」とは、
       主として冠・婚・葬・祭その他の儀式のさだめをいう。

    <十七条の憲法>
   「和を以って貴しと為す」という言葉は、聖徳太子が定めた「十七条の憲法」の
   第一条でよく知られているが、もともとは「論語」からとられたものである。

   その第一条を現代語訳で味わうと・・・
   「おたがいの心が和らいで協力し合うことが貴いのであって、むやみに反抗する
   ことはやめよ。和の心がすべての基本である。しかし、人にはそれぞれ考え方の
   違いがあって、先を見透して議論をする人が少ない。そのため争いごとが絶えず
   なんと愚かなことだろう。人々が上も下も、みんなが和らぎ睦み、礼を尽くして
   話し合いを行えば、必ず道理に合った一致点が見いだせる。そうであるならば、
   何事といえども成し遂げられないものはない。」

                      中央公論社刊 「聖徳太子」より

◆ あとがき
   「親しき仲にも礼儀あり」。あなたは、その親しき仲間として、だれを一番に思い
   浮かべますか?それは「家族」であり、そのなかでも特別格が「夫婦の仲」です。
   と答えるのは私だけでしょうか。なお、その真意のほどはご自由にご想像下さい。


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近所のご隠居さんグループ