ヤマモト兄妹第二話(04/05/21) |
(第一話は三年位前の日記にある)
小学校のクラスってのは階級がはっきりしてるのです。
はっきりしているやつは。
カースト制でいうところのバラモンに当たるやつとか
ヴァイシャ、シュードラとかさ。
自分は小中高となんかよくわからないポジションでしたが、常に。
で、少なくとも小学校クラスの階級制というのは
ピラミッド型ではなくひし形なのですよ。
ヤマモト君はひし形の頂点。
とうぜん下の。
下の頂点にもなるとイジメられ役にもなりません。
だって「触れると汚い、菌がつく」
そういう設定になっていますから。
ある意味彼はクラスのパワーバランスの強烈な要な訳です。
まさに逆天皇。象徴としての。
・・・ここまで書いて違うなと思うことがありました。
「クラスの」ではなく「学年の」ですね。
そして当時はもちろん今でも疑問に思うことが
彼がなぜその不動のポジションに落ち着いたのか?
ということです。
同じクラスになったのが5年生のとき
彼は当然有名で、自分も名前だけは知っていたんですが
実際どんなやつかは知らなかったのです。
同じクラスになって彼の名前を名簿に見つけたとき
「あぁさぞかしトンデモな人間なのであろうな」
と思ったものです。
しかし、同クラスになりしばらく彼のことを見ていても(無論、遠巻きに)
「はて?そんなに変でもないし不潔にも見えないんだが」
という感想しかもてないのです。
クラスの友人に聞いても
納得いくような答えは得られません。
「ヤマモトだから」という理由しか。
ある学期の席替えのとき
僕と彼の席が前後隣り合わせになると言う事態になりました。
クラスのみんなは私に対して
多くのお見舞いの言葉を寄せてきました。
しかし当時から自分は(一人称が固定しないな)
「奇麗事が好きぎみな人間」、だったのと
前述の疑問を抱えていたこともあり
「俺くらいは普通に接してみるか」なんて思ったのです。
もちろん「ほかのやつに気づかれないように」
という前提はきっちり守って。
そういう姑息な保身術は本能的に持っていました。
われながら見事な偽善者ですねぇ。
で、話しかけてみたのですが、
(続く)
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映画の感想(04/05/21) |
キャシャーンを見てきたり。
評判等々知っていたので、いかがなものかと思っていましたが
至極普通、楽しめました。
面白いかどうかといわれると
僕は面白かったけどね
としかいえないかな。
ただ
ストーリーがわかんねぇとか
原作アニメとぜんぜん違うとか
そーいう感想を言う
そんな人間は心底バカにしてやろう。
とかは思っている。
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おれだけじゃないんだなやっぱり(04/05/08) |
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オグリキャップ、記念(04/04/29) |
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董襲は水死体で見つかった(04/04/23) |
ここの更新頻度が如実に自分の精神状態の浮沈を表してるような気がする。
そ・れ・は・さ・て・お・き
横山光輝逝去のニュースって全然流れないのな。
手塚治虫のときとは偉い違いだ。
藤子・F・不二雄がなくなったときにも思ったけどね。
たしかに手塚治虫の功績は偉大だけど
藤子&横山が読まれている世代が相当幅広い
(っていうかまだ広がってる) のに対して
手塚治虫ってポンコツ化が早かったせいで
30代以下だともう読んだことない、ってのが多い気がすんだけど。
初期の作品群はやっぱ絵も内容も凄いんだけど
自分がリアルタイムで連載を読むことができた作品は
はっきりいって・・・
若いうちに才能を放出しすぎて、出がらしになっちゃったのかな。
それでもブラック・ジャックなんて名作書いてるわけだから
枯渇しても凄いんだけどね。
・・っていうか「才能の枯渇」ってよく聞くけど
本当にあるんだろうか?
それがありえるタイプの人間と、ないタイプの人間があるのだろうか?
にしても報道格差ありすぎだよ。
書きたいのはその一言だけ。
(敬称略、と一応書いておく)
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イラク(04/04/15) |
無事に帰ったならそれでいいじゃないですか。
もういいかげんテレビに映してくれるな。
家族ともども。
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慢性的に(04/04/13) |
テンパっている。
「テンパる」ってのは麻雀用語なんだろな。
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